私はSFというジャンル小説が好きだった。いや、今もって好きであることにかわりないのだが、若い時分のそれとは違うのである。
特に好奇心の旺盛さは比べようもない。加えて、多感な時期に喘息持ちだったため、スポーツで溌剌とした汗を流すということができなかったため、退屈だった。本を読むという選択をしたんだ。それが漫画でも良かったのだが、少ない小遣いではとても賄いきれないことがあきらかだったためというのもある。
とは言え、阿呆だったので、ゆわゆる高尚な文学に手を出すことはなく、退屈な本を読むならせめてひとときの楽しみが期待できそうなSFが私の肌に合った。
その当時はさまざまな奇想やアイデアをSFから吸収して、“面白い夢”をみるという非常に内向的な目的がありました。これはまったく上手くいかなかったな。
幸いなことに喘息から縁が切れ、好奇心もすれて徐々にSFを読まなくなってしまいました。であるが、私は定期的にSFという弱毒成分を補給せずにはいられないんですな。
SFというのは面白いもので、奇想やアイデアを共有して好き放題できるのです。ですから優れたそれは手を変え品を変え発展していきます。言い換えれば夢が夢を育てていく不思議さです。
ですが、残念なことに、ここ日本では専業のSF作家は非常に少ないです。理由はいくつも浮かびますが、商業的には漫画家には敵わないといのが日本の現状のようです。
これは言語の違いが壁になっているというのもあります。“奇想やアイデアを共有して好き放題する”サイクルの速度が違いすぎ、かつ共有する人員の差(作家と読者)がありすぎて、とても太刀打ちできるものではありません。50年前のSF作品が翻訳されるということがあるという一例もありますし、残念なことではあります。一方で言語の壁は、有象無象のフィルターとしての機能をはたしている側面もあります。
本音を言えば、有象無象のフィルターなぞ必要なく、有象無象こそSFなんじゃないのかとも思います。未発展の奇想・アイデアこそSFのダイナミズムだよな。それを触れる機会が制限されてると思うと少し歯がゆいかな。
ということで? 眠れぬ夜に適当なことを打ち込んでみた。センスオブワンダーを夢にみたい。KOKEでした。それでは!
2021年3月10日水曜日
人生は寄港地のない船である は?
はい、こんにちはKOKEです。随分と久しぶりに本屋に行った。そして、久しぶりのSFを入手した。ということで、今回は『寄港地のない船』ブライアン・オールディス/中村融訳を、KOKE視点でグダグダしてみる。
まず、この作品は1958年に発表され、7年前の2015年に翻訳された。ちなみに著者ブライアン・オールディス氏の没年は2017年8月19日だそうだ。翻訳された作品でもっとも有名なのは『地球の長い午後』だと思われます。内容は忘れましたが、読んだ記憶はあります。
『寄港地のない船』は、世代交代宇宙船の古典と言ってもよい作品となります。そのために題材は古臭くなりますが、SF界全体に影響を及ぼしたであろう奇想の種が詰まっています。
日本では2015年に翻訳されましたが、その奇想はあらゆるSF作品にて直接・間接を問わず芽吹き、花開いています。
その原点である『寄港地のない船』を2021年に読むというのは不思議な感じがしますね。しかも早川書房でなく、竹書房からですからね。『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード/ 内田昌之訳も竹書房だったよな。こちらも奇想では引けを取らない作品です。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。
『寄港地のない船』のネタバレは一切書きません。世代交代宇宙船は最大のネタバレですが、
作品の面白さには関係がありません。これを読んでいて思い出される作品は、『猫の地球儀』秋山 瑞人です。ライトノベルですが、これも侮れない作品となります。油断して読んでください。は?
脱線すると、『猫の地球儀』で思いだされる音楽は、スカパラと宮本浩次のコラボ曲『明日以外すべて燃やせ』です。『猫の地球儀』とは全く関係のない意図で創られた音楽ですが、通底するテーマは同じだと感じます。『猫の地球儀』で泣いたら? 『明日以外すべて燃やせ』をぜ聴いてみて下さい。
誰が言ったか『SFはやっぱり絵だねぇ』という台詞。Googleで調べたら一発ですが、『寄港地のない船』も例外ではなく、『SFはやっぱり絵だねぇ』と思いますよ。私がこの台詞を知らなかった昔に似たような感銘を受けた作品は、P・Kディックの短編『偽物』でした。筒井康隆の短編 『関節話法』も腹が捩れるくらい泣きながら笑って『SFはやっぱり絵だねぇ』と言いたい作品です。ぜひ。
『寄港地のない船』で思いだすニュースはコロナ初期で感染者が多発したクルーズ船ですが、SFはシチュエーションや規模の違いはあれど先見の明があるものだと言わざるを得ません。コロナ禍の中、不謹慎ですが思いだされる作品は、森奈津子の短編『西城秀樹のおかげです』です。百合SFですが。ぜひ。
ということで、しばらくぶりにSF成分を吸収しましたという話でした。しかしあれですね、『寄港地のない船』という日本語タイトルめっちゃネタバレだろうと思ったのは内緒です。それでは!
まず、この作品は1958年に発表され、7年前の2015年に翻訳された。ちなみに著者ブライアン・オールディス氏の没年は2017年8月19日だそうだ。翻訳された作品でもっとも有名なのは『地球の長い午後』だと思われます。内容は忘れましたが、読んだ記憶はあります。
『寄港地のない船』は、世代交代宇宙船の古典と言ってもよい作品となります。そのために題材は古臭くなりますが、SF界全体に影響を及ぼしたであろう奇想の種が詰まっています。
日本では2015年に翻訳されましたが、その奇想はあらゆるSF作品にて直接・間接を問わず芽吹き、花開いています。
その原点である『寄港地のない船』を2021年に読むというのは不思議な感じがしますね。しかも早川書房でなく、竹書房からですからね。『竜のグリオールに絵を描いた男』ルーシャス・シェパード/ 内田昌之訳も竹書房だったよな。こちらも奇想では引けを取らない作品です。ご興味のある方はぜひお手に取ってください。
『寄港地のない船』のネタバレは一切書きません。世代交代宇宙船は最大のネタバレですが、
作品の面白さには関係がありません。これを読んでいて思い出される作品は、『猫の地球儀』秋山 瑞人です。ライトノベルですが、これも侮れない作品となります。油断して読んでください。は?
脱線すると、『猫の地球儀』で思いだされる音楽は、スカパラと宮本浩次のコラボ曲『明日以外すべて燃やせ』です。『猫の地球儀』とは全く関係のない意図で創られた音楽ですが、通底するテーマは同じだと感じます。『猫の地球儀』で泣いたら? 『明日以外すべて燃やせ』をぜ聴いてみて下さい。
誰が言ったか『SFはやっぱり絵だねぇ』という台詞。Googleで調べたら一発ですが、『寄港地のない船』も例外ではなく、『SFはやっぱり絵だねぇ』と思いますよ。私がこの台詞を知らなかった昔に似たような感銘を受けた作品は、P・Kディックの短編『偽物』でした。筒井康隆の短編 『関節話法』も腹が捩れるくらい泣きながら笑って『SFはやっぱり絵だねぇ』と言いたい作品です。ぜひ。
『寄港地のない船』で思いだすニュースはコロナ初期で感染者が多発したクルーズ船ですが、SFはシチュエーションや規模の違いはあれど先見の明があるものだと言わざるを得ません。コロナ禍の中、不謹慎ですが思いだされる作品は、森奈津子の短編『西城秀樹のおかげです』です。百合SFですが。ぜひ。
ということで、しばらくぶりにSF成分を吸収しましたという話でした。しかしあれですね、『寄港地のない船』という日本語タイトルめっちゃネタバレだろうと思ったのは内緒です。それでは!
2016年7月4日月曜日
特捜部Q―知りすぎた……
特捜部Q―知りすぎたマルコ― 上/下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
著者:ユッシ エーズラ・オールスン 翻訳:吉田 薫
随分と長いことブログを更新していないが、久しぶりに阿呆なことを書きます。
本屋に久しぶりに寄ってみたら、『特捜部Q』の新刊を発見。HPBではなく、文庫版です。つまり、後追い組である。
家に戻って風呂に入って、2匹の猫の貌を拭き、布団に寝転んで『特捜部Q』下巻の解説を読む。解説とかあとがきをはじめに読むのがわたしの習慣である。ネタバレが書かれていようがお構いなしである(この解説にはネタバレはありません)。
掛け時計・置き時計は無いので、携帯電話か腕時計で時間を確認する。朝になると携帯電話が見つからない場合が多々あるので、腕時計をはめるのだが、解説を読んだ後に時間を確認したら、腕時計が止まっていた。他の腕時計に付け替えようと思ったが、ボタン電池の予備もあることだし、電池を交換することにした。この時計は安物ながらかなり気に入っているもの。この時計を入手した経緯をブログのネタにするのもいいかな? そんなことを頭の隅でつらつら考えながら寝床に戻った。
そんな雑念をよぎらせながら早速、『特捜部Q―知りすぎたマルコ―』を読み始める。すごく展開がはやいなあ、だいぶ端折ってるなあ、と、思いながら読んでいた。こんなにジェットコースターでは下巻の前に話が終わってしまうだろうと……
一冊のなかばまで読み進めて、「はて、待てよ?」と思い至った。まさかとは思ったが、表紙をみたら……下巻……うわあぁぁぁ! オーマイガッシュ! こんな間違いを犯すなんて…… 荒ぶる気分を落ち着けて上巻から読み始めるのだった。知りすぎたkokeでした。
感想的なのは読み終わって気が向いたら書こうかな。
※関連するリンク
映画『特捜部Q -檻の中の女-』
著者:ユッシ エーズラ・オールスン 翻訳:吉田 薫
随分と長いことブログを更新していないが、久しぶりに阿呆なことを書きます。
本屋に久しぶりに寄ってみたら、『特捜部Q』の新刊を発見。HPBではなく、文庫版です。つまり、後追い組である。
家に戻って風呂に入って、2匹の猫の貌を拭き、布団に寝転んで『特捜部Q』下巻の解説を読む。解説とかあとがきをはじめに読むのがわたしの習慣である。ネタバレが書かれていようがお構いなしである(この解説にはネタバレはありません)。
掛け時計・置き時計は無いので、携帯電話か腕時計で時間を確認する。朝になると携帯電話が見つからない場合が多々あるので、腕時計をはめるのだが、解説を読んだ後に時間を確認したら、腕時計が止まっていた。他の腕時計に付け替えようと思ったが、ボタン電池の予備もあることだし、電池を交換することにした。この時計は安物ながらかなり気に入っているもの。この時計を入手した経緯をブログのネタにするのもいいかな? そんなことを頭の隅でつらつら考えながら寝床に戻った。
そんな雑念をよぎらせながら早速、『特捜部Q―知りすぎたマルコ―』を読み始める。すごく展開がはやいなあ、だいぶ端折ってるなあ、と、思いながら読んでいた。こんなにジェットコースターでは下巻の前に話が終わってしまうだろうと……
一冊のなかばまで読み進めて、「はて、待てよ?」と思い至った。まさかとは思ったが、表紙をみたら……下巻……うわあぁぁぁ! オーマイガッシュ! こんな間違いを犯すなんて…… 荒ぶる気分を落ち着けて上巻から読み始めるのだった。知りすぎたkokeでした。
感想的なのは読み終わって気が向いたら書こうかな。
※関連するリンク
映画『特捜部Q -檻の中の女-』
2015年7月21日火曜日
ジャック・リッチーのあの手この手にノックアウト
著者:ジャック・リッチー
『ジャック・リッチーのあの手この手』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
『カーデュラ探偵社』(河出文庫)
『クライム・マシン』(河出文庫)
上記の3作品を読んでみた。HPB版の『ジャック・リッチーのあの手この手』を読んだら割りと面白かった。オチが弱い作品が多い気もするが、オチありきではない、力み過ぎない作品たちが割りと好感触なのです。そこで河出文庫の『カーデュラ探偵社』と『クライム・マシン』を入手して読みました。なかなかに味わい深い作品群でありました。匠の技を十二分に堪能させていただきました。
わたしの好きなドナルド・E・ウェストレイク氏もジャック・リッチー氏を絶賛していたようですし、ジャック・リッチー氏もウェストレイク氏の作品を好んでいたようです。それを解説で知り嬉しくもあり、悲しくもありました。悲しいのは匠のお二人がどちらも既に他界されているからです。ああ無常……
リッチー氏は掌編・短編を得意とした作家のようです。というか掌編・短編を生業としていたのかな。なので、アンソロジー的なもので以前にひょっとしたら1作くらいは読んでいたかもしれないなあ。
よく出来たお話は既視感があるものです。リッチー氏の作品群はまさに多々その感じを受けるのでした。
捻りのある掌編・短編の場合、クルンと思いもしない反転をします。そんな捻りの効いたお話に撃たれつつ、オチありきではない掌編・短編にリッチー氏の真骨頂を感じたりしています。良い作家に出会えて大満足です。
また読みたくなってきました。早速、短篇集『10ドルだって大金だ』を注文してみようかな。
『ジャック・リッチーのあの手この手』(ハヤカワ・ポケット・ミステリ)
『カーデュラ探偵社』(河出文庫)
『クライム・マシン』(河出文庫)
上記の3作品を読んでみた。HPB版の『ジャック・リッチーのあの手この手』を読んだら割りと面白かった。オチが弱い作品が多い気もするが、オチありきではない、力み過ぎない作品たちが割りと好感触なのです。そこで河出文庫の『カーデュラ探偵社』と『クライム・マシン』を入手して読みました。なかなかに味わい深い作品群でありました。匠の技を十二分に堪能させていただきました。
わたしの好きなドナルド・E・ウェストレイク氏もジャック・リッチー氏を絶賛していたようですし、ジャック・リッチー氏もウェストレイク氏の作品を好んでいたようです。それを解説で知り嬉しくもあり、悲しくもありました。悲しいのは匠のお二人がどちらも既に他界されているからです。ああ無常……
リッチー氏は掌編・短編を得意とした作家のようです。というか掌編・短編を生業としていたのかな。なので、アンソロジー的なもので以前にひょっとしたら1作くらいは読んでいたかもしれないなあ。
よく出来たお話は既視感があるものです。リッチー氏の作品群はまさに多々その感じを受けるのでした。
捻りのある掌編・短編の場合、クルンと思いもしない反転をします。そんな捻りの効いたお話に撃たれつつ、オチありきではない掌編・短編にリッチー氏の真骨頂を感じたりしています。良い作家に出会えて大満足です。
また読みたくなってきました。早速、短篇集『10ドルだって大金だ』を注文してみようかな。
2015年4月9日木曜日
六人目の少女
『六人目の少女』 HPB版
著者:ドナート・カッリージ
翻訳者:清水 由貴子
しばらく前に入手していた小説『六人目の少女』を読んだ。
わたし的には今一歩の物語だった。面白いのだが、なにか物足りない。この“なにか”を求めて感想にならない駄文を起こしてみた。
ストレートに書くと、残念ながら登場人物に魅力がない。そのように書くと身も蓋もないし、それで終わってしまうので、無理矢理絞りだしてあーでもないこーでもないと書いてみることにした。
6本の左腕を巡る物語。1本の左腕の所有者が発見されるたびに過去の事件が掘り起こされる。それにより過去の犯罪と犯人が炙りだされる。
掘り起こされる過去の犯罪は段々と規模と陰惨さが増してくる。これを解決していく過程で次の所有者のヒントが提示されていく。
上述のように話が進んでいくと、今回の表題の事件の首謀者は長い年月を掛けていることが分かるようになっていく。
ラストに向かっていくと加速度が増してゆくのだが、犯罪が起こってしまったことが確定してしまっているが、危うい状態で成り立っている犯罪だということが分かる。
つまり、物語が進むと段々と嘘くささが増していく感じを受けるのだ。本当の首謀者らしい人物が冒頭から書かれているのだが、真相らしきもので納得させられることはなかった。こんなので本当に犯罪が起こるのかかなり疑わしい。起こってしまった犯罪そのものが胡散臭い印象を受ける。すると小説そのものがよく出来た作り話にしか感じられなくなる。いや、小説は作り話なのでそれはもっともなのだけれども。なんというか読んでいくうちに小説から心が離れていく感じなのである。
ラストに物語をより強化する落ち的なものが加えられるのだが、わたし的には最後のダメ押しでこれは駄目かもわからんね。と、思ってしまった。
こんな感想では駄目かもわからんね。ということでもう少し違う角度から攻めてみることにする。
物語の構造を書いてみる。6本の左腕は、6つ犯罪を表す。5人の被害者は、過去の犯罪への誘導となる。過去の犯罪は現在の犯罪への誘導ともなる。つまり、この物語の構造は“連鎖”である。
謎(事件)は解(捜査)により“連鎖”していく。解(捜査)は物語の“触媒”である。
よし、無い知恵を絞って“連鎖”と“触媒”が導き出せた。
まずは“連鎖”についてだ。連鎖するためにはまずブロック(事件)が積み上げられている必要がある。
ある意図を持って積み上げあられたブロック。つまり設計者が首謀者となる。この場合において作者は設計者である。
このブロックを崩していくのがプレイヤーになる。捜査班がプレイヤーとなる。この場合において読者はプレイヤー側である。作者はもちろんプレイヤーでもある。
“触媒”は本来の意味において自身は変質しない。が、捜査班(個々人)は“連鎖”が進むほどに変質または変化していく。
“触媒”という意味において、真の触媒は首謀者である。設計者はまさに設計のみを行う。現在の犯罪も過去の犯罪も設計のみで実際の労働(犯罪)は行わない。犯罪者の素養があるものを犯罪者に変容させるのが首謀者であり触媒である。
6本の左腕は象徴であり挑戦状・力の誇示である。一人の少女の左腕は希望であり救いである。この少女を救えるかというのが首謀者の挑戦ということであろう。読者へのフックでもある。
捜査班はプレイヤーとなり謎解きに挑んでいく。謎解きの原動力は少女を救えるかもしれない可能性である。読者の読み進めるための原動力にもなっている。これも読者へのフックである。
捜査班は専門家集団である。謎解きをして次の事件にぶち当たることが正しい道筋となる。これが連鎖していく。
設計者の意図は何か? これが物語の大きな謎であることは間違いない。そしてもっとも大きい読者へのフックということも間違いない。 つまりこれを読み解けというのが設計者の意図であり、作者の意図である。
物語は、設計者の意図だけを謎にしたまま収束する。この意図をどう読むのかは読者に任されている。
このように構造に着目してみると割りと面白い感じになるなあ。
では設計者の意図について書いてみたい。これは読者の数だけ解がある。ということなので、これが絶対的な解ではない。
どちらかと言うと、わたしの解はヒラメキみたいなものである。納得できるものではないというのはご承知の上で読んでくだされ。噴飯ものの類だと思われる。
では、さて、いきますか。首謀者(設計者)は血肉を備えた一人の人間である。であるが、名前も生まれも不明な匿名性の高い人物として描かれている。冒頭の書簡のやり取りで登場する首謀者は、全裸で身柄を拘束されるのである。なおかつ事件が明るみになる6本の少女の左腕が発見される前、もう少しきちんと書くと、少女たちが行方不明になる前に既に刑務所に収監されている。このことから連鎖する事件には関わりがないことが分かる。実際には関わっているように見受けられるが、その関わりが証明不能なのである。
霊媒体質の女性が登場して、首謀者らしい人物と過去の犯罪予備軍が接触して犯罪者に仕立て上げられる様子が霊視? されるがこれが唯一の証拠ならざる証拠として読者に提示される。
作者は、匿名性の悪、法律では無効な悪、触媒としての悪を描いてみせた。ややもすると実在性のない悪魔になりかねない首謀者にギリギリのところで血肉を与えた。握手でもって。ラストでは主人公に首謀者の名前が効果的に明かされる。
ということでここから噴飯させるぜ。首謀者のキャラクターは『エルム街の悪夢』のフレディーに着想を得たのではなかという妄想。悪夢でもって犯罪予備軍を犯罪者に仕立て上げるのである。
この悪夢は手練手管のマインドコントロール術。いわば触媒としての悪であろう。決して捕まらないというのは法律では無効な悪と、匿名性の悪で実現できている。
フレディーとの唯一の違いは血肉を備えているかいないかの違いかな? わたし的には近しい存在な気がする。
この物語の危うさは後半になるほど際立ってくる。畳み掛ける展開でもってしても誤魔化しきれない。この危うさの根っこは、手練手管のマインドコントロール術にすべての事件が成り立っているという点である。それも一人の人間によって設計され積み上げられ、自らのシナリオにより挑戦状として提示し、暴露させるのだから違和感を覚える。
“連鎖”とは言い換えれば繰り返しの妙だが、ラストにもキッチリ“連鎖”の余韻を持ってきたのは設計者(作者)の力量を表している。なんてね。
つまり、この謎の意図をどう読むのかが評価軸の分岐点になるような気がする。さて、みなさんの評価はいかがでしょうか。
著者:ドナート・カッリージ
翻訳者:清水 由貴子
しばらく前に入手していた小説『六人目の少女』を読んだ。
わたし的には今一歩の物語だった。面白いのだが、なにか物足りない。この“なにか”を求めて感想にならない駄文を起こしてみた。
ストレートに書くと、残念ながら登場人物に魅力がない。そのように書くと身も蓋もないし、それで終わってしまうので、無理矢理絞りだしてあーでもないこーでもないと書いてみることにした。
6本の左腕を巡る物語。1本の左腕の所有者が発見されるたびに過去の事件が掘り起こされる。それにより過去の犯罪と犯人が炙りだされる。
掘り起こされる過去の犯罪は段々と規模と陰惨さが増してくる。これを解決していく過程で次の所有者のヒントが提示されていく。
上述のように話が進んでいくと、今回の表題の事件の首謀者は長い年月を掛けていることが分かるようになっていく。
ラストに向かっていくと加速度が増してゆくのだが、犯罪が起こってしまったことが確定してしまっているが、危うい状態で成り立っている犯罪だということが分かる。
つまり、物語が進むと段々と嘘くささが増していく感じを受けるのだ。本当の首謀者らしい人物が冒頭から書かれているのだが、真相らしきもので納得させられることはなかった。こんなので本当に犯罪が起こるのかかなり疑わしい。起こってしまった犯罪そのものが胡散臭い印象を受ける。すると小説そのものがよく出来た作り話にしか感じられなくなる。いや、小説は作り話なのでそれはもっともなのだけれども。なんというか読んでいくうちに小説から心が離れていく感じなのである。
ラストに物語をより強化する落ち的なものが加えられるのだが、わたし的には最後のダメ押しでこれは駄目かもわからんね。と、思ってしまった。
こんな感想では駄目かもわからんね。ということでもう少し違う角度から攻めてみることにする。
物語の構造を書いてみる。6本の左腕は、6つ犯罪を表す。5人の被害者は、過去の犯罪への誘導となる。過去の犯罪は現在の犯罪への誘導ともなる。つまり、この物語の構造は“連鎖”である。
謎(事件)は解(捜査)により“連鎖”していく。解(捜査)は物語の“触媒”である。
よし、無い知恵を絞って“連鎖”と“触媒”が導き出せた。
まずは“連鎖”についてだ。連鎖するためにはまずブロック(事件)が積み上げられている必要がある。
ある意図を持って積み上げあられたブロック。つまり設計者が首謀者となる。この場合において作者は設計者である。
このブロックを崩していくのがプレイヤーになる。捜査班がプレイヤーとなる。この場合において読者はプレイヤー側である。作者はもちろんプレイヤーでもある。
“触媒”は本来の意味において自身は変質しない。が、捜査班(個々人)は“連鎖”が進むほどに変質または変化していく。
“触媒”という意味において、真の触媒は首謀者である。設計者はまさに設計のみを行う。現在の犯罪も過去の犯罪も設計のみで実際の労働(犯罪)は行わない。犯罪者の素養があるものを犯罪者に変容させるのが首謀者であり触媒である。
6本の左腕は象徴であり挑戦状・力の誇示である。一人の少女の左腕は希望であり救いである。この少女を救えるかというのが首謀者の挑戦ということであろう。読者へのフックでもある。
捜査班はプレイヤーとなり謎解きに挑んでいく。謎解きの原動力は少女を救えるかもしれない可能性である。読者の読み進めるための原動力にもなっている。これも読者へのフックである。
捜査班は専門家集団である。謎解きをして次の事件にぶち当たることが正しい道筋となる。これが連鎖していく。
設計者の意図は何か? これが物語の大きな謎であることは間違いない。そしてもっとも大きい読者へのフックということも間違いない。 つまりこれを読み解けというのが設計者の意図であり、作者の意図である。
物語は、設計者の意図だけを謎にしたまま収束する。この意図をどう読むのかは読者に任されている。
このように構造に着目してみると割りと面白い感じになるなあ。
では設計者の意図について書いてみたい。これは読者の数だけ解がある。ということなので、これが絶対的な解ではない。
どちらかと言うと、わたしの解はヒラメキみたいなものである。納得できるものではないというのはご承知の上で読んでくだされ。噴飯ものの類だと思われる。
では、さて、いきますか。首謀者(設計者)は血肉を備えた一人の人間である。であるが、名前も生まれも不明な匿名性の高い人物として描かれている。冒頭の書簡のやり取りで登場する首謀者は、全裸で身柄を拘束されるのである。なおかつ事件が明るみになる6本の少女の左腕が発見される前、もう少しきちんと書くと、少女たちが行方不明になる前に既に刑務所に収監されている。このことから連鎖する事件には関わりがないことが分かる。実際には関わっているように見受けられるが、その関わりが証明不能なのである。
霊媒体質の女性が登場して、首謀者らしい人物と過去の犯罪予備軍が接触して犯罪者に仕立て上げられる様子が霊視? されるがこれが唯一の証拠ならざる証拠として読者に提示される。
作者は、匿名性の悪、法律では無効な悪、触媒としての悪を描いてみせた。ややもすると実在性のない悪魔になりかねない首謀者にギリギリのところで血肉を与えた。握手でもって。ラストでは主人公に首謀者の名前が効果的に明かされる。
ということでここから噴飯させるぜ。首謀者のキャラクターは『エルム街の悪夢』のフレディーに着想を得たのではなかという妄想。悪夢でもって犯罪予備軍を犯罪者に仕立て上げるのである。
この悪夢は手練手管のマインドコントロール術。いわば触媒としての悪であろう。決して捕まらないというのは法律では無効な悪と、匿名性の悪で実現できている。
フレディーとの唯一の違いは血肉を備えているかいないかの違いかな? わたし的には近しい存在な気がする。
この物語の危うさは後半になるほど際立ってくる。畳み掛ける展開でもってしても誤魔化しきれない。この危うさの根っこは、手練手管のマインドコントロール術にすべての事件が成り立っているという点である。それも一人の人間によって設計され積み上げられ、自らのシナリオにより挑戦状として提示し、暴露させるのだから違和感を覚える。
“連鎖”とは言い換えれば繰り返しの妙だが、ラストにもキッチリ“連鎖”の余韻を持ってきたのは設計者(作者)の力量を表している。なんてね。
つまり、この謎の意図をどう読むのかが評価軸の分岐点になるような気がする。さて、みなさんの評価はいかがでしょうか。
2015年2月5日木曜日
映画『特捜部Q -檻の中の女-』
先日、2/3に映画『特捜部Q -檻の中の女-』を観に行って来ました。“未体験ゾーンの映画たち2015”という映画祭です。
正直に言うとそれほどの映画ではありませんでした。雰囲気は良かっただけに、とにかく端折りが多くて残念な感じでしたね。
これだけではネタ未満なので、もう少し話を膨らませます。
※写真はgoogleのストリートビューを切り貼りしたもの
作品がダークなのと平日ということもあり、年齢層は高めだった。観客数はざっくり30人未満。
自発的に映画を観に行ったのは人生初。TVを地デジ化にあわせて捨てたので、なにか映像的な刺激を欲していたんだと思う。YouTubeなどでしのいでいたんだけど欲求不満ぎみだった。
『檻の中の女』は文庫で既読済みで、『特捜部Q―カルテ番号64』の文庫の帯で映画上映を知り、どんな映画になっているのか興味があった。
随分前に既読済みですが、内容はなんとなく憶えており、記憶との照合しながら映画を観ました。97分という尺に小説全ては詰め込めないのは当然で端折りもありました。
小説をなぞる展開だったと思う。小説の雰囲気は違和感なく再現出来ていたと思う。
いきなり映画を観たらちょっと戸惑うと思います。冒頭の事件は追わずに別の事件を追うことになるからね。
映画だけ観たら風呂敷広げて回収していないじゃんという感想になってしまいます。
カール・マークを中心にした人間関係は映画ではストーリーに織り込まれてはいるが分かりづらい。
カール・マークの奥さんと息子の関係は上手くいっていないのはざっくり描かれてはいるが、込み入った事情は描かれてはいない。
切り捨てられた登場人物もいた。その代表が心理学者モーナ。実はモーナがどんな美人なのか観たかったのは内緒だ。
それはさて置き、心理学者モーナはこのシリーズではマドンナ的キャラクターで欠くことはできない人物である。
カール・マークのリビドーとしても、わたしのリビドー的にも。とはいえ映画的には切られてしまいがちなキャラクターだと思われる。残念。
アサドの謎めいた人物像は映画ではバッサリ切り捨てられている。警察手帳を持っているのは人物設定の変更だろう。小説のアサドは物凄く謎キャラでそれが魅力的なんだけれどなあ。
カール・マークとアサドのコンビは、アサドの人物設定の変更によりスタイリッシュになってしまい魅力が半減している。
ミレーデ・ルンゴーは小説版のイメージに近しいかな。彼女の失踪事件を追うので今回限りのヒロインになる。失踪事件のキッカケは回想シーンとして織り込まれている。
小説版も同じなんだけど犯人の動機が弱いんだよな。映画でもここが弱い。小説版ではこの弱い部分を人物造形で補っている。犯人の母親なんかももっと憎らしい造形だったし、ヒロインの悲劇性をなんやかんやして盛って上手く誤魔化していたんだけど。
小説版では犯人グループにもう一人いたような記憶があるが、これは確認していないのでなんとも言えない。
ミレーデ・ルンゴーの弟も作中では重要な役割があります。彼が事件の真相を紐解くキーマンになります。彼の人物造形は小説版に近しくいい按配でした。
刑事であるカール・マークを厄介者とした警部が追いやった警察内の地下物置が特捜部Qの本陣。割り当てられた仕事は、未解決事件の書類整理です。つまり左遷みたいなもの。
アサドが助手としてどこからか来ました。この“どこからか”は小説版では謎の含みがあります。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』になっても未だ明かされていない謎です。
小説版での地下物置はもっと狭い部屋でしたが映画では書架(事件ファイル)のある割りと広い感じになってましたね。
冒頭の事件はカール・マークとその部下が巻き込まれる事件で、この事件がもとで特捜部Qが発足されます。映画ではかなり乱暴に投げ込まれるプロットです。いきなり映画を観たらちょっと戸惑う部分ですね。
入院中の部下(名前は忘れた)を見舞うシーンで部下が「あの時、仲間の到着を待っていたらどうだったのか……ただ、カールの頑固(粘り強さ)さが事件を解決に導く」というようなセリフがありカールに許しと希望を持たせている。映画としてうまく処理しているかな。
小説版ではこの負傷した部下にも物語があります。泣けて笑えるサブキャラです。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でもまだその魅力と能力は完全には開花していません。
一応補足として書いておくと冒頭の事件は小説版『特捜部Q―檻の中の女』でも未解決です。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でも未解決ですが、少しずつ真相を究明していく状態ですね。
わたしは負傷した部下が結構気になっています。彼の苦悩が凄く気になるのです。理由はいろいろあるのですが、彼に生きる希望が見いだせる日がくることを願って止みません。
頑張れなんて安易に声は掛けられないし、どうなったら今より幸せなのかも分かりませんが、シリーズをとおして見守っていきたいと思う。
映画の総評としては小説のパイロット版のような作りですね。ちょっと違うかな。うーん、なんて言えばいいのかな。
小説そのものは映像化しやすい気がするのだが、映画では魅力が半減してしまっている。テレビシリーズとかもう少し長尺に向いている作品のように思われる。
小説のパイロット版のような作りと書きましたが、つまり、映画単品ではヒットしない作りなんです。だから、残念ながら、ぜひ観てくださいという映画ではないです。
小説を読んだ上で観れば理解は容易な作品です。雰囲気は再現しているのだけれど評価は厳しい作品かな。100点満点なら50点くらいな感じでした。
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特捜部Q―知りすぎた……
正直に言うとそれほどの映画ではありませんでした。雰囲気は良かっただけに、とにかく端折りが多くて残念な感じでしたね。
これだけではネタ未満なので、もう少し話を膨らませます。
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携帯で暇つぶしに書いたもの 現在12:42。渋谷に到着。 渋谷駅13番出口から直進した右手のcocoti(ココチビル)8F。入り口に3つの長いエスカレーターがある。8Fに受付兼チケット売り場がある。今回は予約なしできました。座席G9を確保。 はやく着きすぎやることなし。公園で一服中。 オシャレな若者が多い。可愛い娘も多く目の保養をした。外国人も多く見受けられた。 わたしは普段着ているライダースとミリタリーとワークの混ざった格好できました。浮いている感じはしないが、オシャレ感はゼロだろうな。とほほ。 入館は10分前とのことなので昼飯をたべようと思ったが、下調べしておらず、しばし歩いて回ったが、場違いな感じがしてコンビニでコロッケパンと缶コーヒーを買ってきた。公園でこれを書いている。 つまり暇潰しだ。今、12:52。あと30分もある。 天気は快晴だがわずかに風が吹き肌寒い。公園横上は電車が走っている。 ファッションの店も多いが、いやファッションの街か。やはり場違いな感じである。 今、12:57。まだ時間がある。困った。 仕方がないので『檻の中の女』を携帯で検索して時間を潰すか。あ、ちなみに『檻の中の女』は随分前に既読している。HPB版ではなく文庫の後追い組。文庫最新刊の帯で映画祭を知り今日に至る。 映画館上映はここ渋谷と大阪だけのよう。なので仕方なしにオシャレな街に来たのだ。 今、1:05。10人くらいいた公園をみわたすと、わたしを含め4人と鳩二羽になった。上空にヘリコプターが飛んでいる音がする。 今、1:10。携帯の入力は遅いと思う。救急車が走っている。それと消防車かな。そろそろ行くとするか。 今、1:12。少し時間が潰せた。レッツラゴー(死語)。 |
※写真はgoogleのストリートビューを切り貼りしたもの
作品がダークなのと平日ということもあり、年齢層は高めだった。観客数はざっくり30人未満。
自発的に映画を観に行ったのは人生初。TVを地デジ化にあわせて捨てたので、なにか映像的な刺激を欲していたんだと思う。YouTubeなどでしのいでいたんだけど欲求不満ぎみだった。
『檻の中の女』は文庫で既読済みで、『特捜部Q―カルテ番号64』の文庫の帯で映画上映を知り、どんな映画になっているのか興味があった。
随分前に既読済みですが、内容はなんとなく憶えており、記憶との照合しながら映画を観ました。97分という尺に小説全ては詰め込めないのは当然で端折りもありました。
小説をなぞる展開だったと思う。小説の雰囲気は違和感なく再現出来ていたと思う。
いきなり映画を観たらちょっと戸惑うと思います。冒頭の事件は追わずに別の事件を追うことになるからね。
映画だけ観たら風呂敷広げて回収していないじゃんという感想になってしまいます。
カール・マークを中心にした人間関係は映画ではストーリーに織り込まれてはいるが分かりづらい。
カール・マークの奥さんと息子の関係は上手くいっていないのはざっくり描かれてはいるが、込み入った事情は描かれてはいない。
切り捨てられた登場人物もいた。その代表が心理学者モーナ。実はモーナがどんな美人なのか観たかったのは内緒だ。
それはさて置き、心理学者モーナはこのシリーズではマドンナ的キャラクターで欠くことはできない人物である。
カール・マークのリビドーとしても、わたしのリビドー的にも。とはいえ映画的には切られてしまいがちなキャラクターだと思われる。残念。
アサドの謎めいた人物像は映画ではバッサリ切り捨てられている。警察手帳を持っているのは人物設定の変更だろう。小説のアサドは物凄く謎キャラでそれが魅力的なんだけれどなあ。
カール・マークとアサドのコンビは、アサドの人物設定の変更によりスタイリッシュになってしまい魅力が半減している。
ミレーデ・ルンゴーは小説版のイメージに近しいかな。彼女の失踪事件を追うので今回限りのヒロインになる。失踪事件のキッカケは回想シーンとして織り込まれている。
小説版も同じなんだけど犯人の動機が弱いんだよな。映画でもここが弱い。小説版ではこの弱い部分を人物造形で補っている。犯人の母親なんかももっと憎らしい造形だったし、ヒロインの悲劇性をなんやかんやして盛って上手く誤魔化していたんだけど。
小説版では犯人グループにもう一人いたような記憶があるが、これは確認していないのでなんとも言えない。
ミレーデ・ルンゴーの弟も作中では重要な役割があります。彼が事件の真相を紐解くキーマンになります。彼の人物造形は小説版に近しくいい按配でした。
刑事であるカール・マークを厄介者とした警部が追いやった警察内の地下物置が特捜部Qの本陣。割り当てられた仕事は、未解決事件の書類整理です。つまり左遷みたいなもの。
アサドが助手としてどこからか来ました。この“どこからか”は小説版では謎の含みがあります。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』になっても未だ明かされていない謎です。
小説版での地下物置はもっと狭い部屋でしたが映画では書架(事件ファイル)のある割りと広い感じになってましたね。
冒頭の事件はカール・マークとその部下が巻き込まれる事件で、この事件がもとで特捜部Qが発足されます。映画ではかなり乱暴に投げ込まれるプロットです。いきなり映画を観たらちょっと戸惑う部分ですね。
入院中の部下(名前は忘れた)を見舞うシーンで部下が「あの時、仲間の到着を待っていたらどうだったのか……ただ、カールの頑固(粘り強さ)さが事件を解決に導く」というようなセリフがありカールに許しと希望を持たせている。映画としてうまく処理しているかな。
小説版ではこの負傷した部下にも物語があります。泣けて笑えるサブキャラです。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でもまだその魅力と能力は完全には開花していません。
一応補足として書いておくと冒頭の事件は小説版『特捜部Q―檻の中の女』でも未解決です。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でも未解決ですが、少しずつ真相を究明していく状態ですね。
わたしは負傷した部下が結構気になっています。彼の苦悩が凄く気になるのです。理由はいろいろあるのですが、彼に生きる希望が見いだせる日がくることを願って止みません。
頑張れなんて安易に声は掛けられないし、どうなったら今より幸せなのかも分かりませんが、シリーズをとおして見守っていきたいと思う。
映画の総評としては小説のパイロット版のような作りですね。ちょっと違うかな。うーん、なんて言えばいいのかな。
小説そのものは映像化しやすい気がするのだが、映画では魅力が半減してしまっている。テレビシリーズとかもう少し長尺に向いている作品のように思われる。
小説のパイロット版のような作りと書きましたが、つまり、映画単品ではヒットしない作りなんです。だから、残念ながら、ぜひ観てくださいという映画ではないです。
小説を読んだ上で観れば理解は容易な作品です。雰囲気は再現しているのだけれど評価は厳しい作品かな。100点満点なら50点くらいな感じでした。
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特捜部Q―知りすぎた……
2014年9月16日火曜日
たまにはほんわりほっこりもいいもんだ
時が新しかったころ
著者:ロバート・F・ヤング
翻訳:中村 融
東京創元SF文庫
久しぶりに本屋に向かう。これといって気になる本はなかった。手ぶらで帰るのもなんだからローバート・F・ヤングの『時が新しかったころ』を入手した。
ロバート・F・ヤングといえば『たんぽぽ娘』かな? まあ、読んだことないけど。『ジョナサンと宇宙クジラ』は読んだと思うがまったく憶えていない。わたし的にあまり響かなかったのだと思う。表紙のイラストしか憶えていない。
『時が新しかったころ』の表紙絵はなんとなくジュブナイル系を匂わす。今で言うライトノベル系な予感。
早速、自宅に帰って読み始めた。軽い感じなSFですね。うん。あっさり読める系。感想は、「ほんわりほっこり」なにも難しいところはない。
絵本にすれば子供が喜んで、「お母さん、新しかったころ、また読んで!」とせがむ子供の姿が目に浮かぶようなお話でした。
たまにはこういうのもいいかな。はてさて、『時が新しかったころ』は短編、中編、長編があるようである。話の骨子は同じようで中編、長編は短編をもとに作られたようです。わたしが読んだのは創元なので長編版ですね。
短編をふくらし粉でふんわり仕上げた砂糖菓子のようなお話です。“ほんわりほっこり”が足りていない方いかが?
著者:ロバート・F・ヤング
翻訳:中村 融
東京創元SF文庫
久しぶりに本屋に向かう。これといって気になる本はなかった。手ぶらで帰るのもなんだからローバート・F・ヤングの『時が新しかったころ』を入手した。
ロバート・F・ヤングといえば『たんぽぽ娘』かな? まあ、読んだことないけど。『ジョナサンと宇宙クジラ』は読んだと思うがまったく憶えていない。わたし的にあまり響かなかったのだと思う。表紙のイラストしか憶えていない。
『時が新しかったころ』の表紙絵はなんとなくジュブナイル系を匂わす。今で言うライトノベル系な予感。
早速、自宅に帰って読み始めた。軽い感じなSFですね。うん。あっさり読める系。感想は、「ほんわりほっこり」なにも難しいところはない。
絵本にすれば子供が喜んで、「お母さん、新しかったころ、また読んで!」とせがむ子供の姿が目に浮かぶようなお話でした。
たまにはこういうのもいいかな。はてさて、『時が新しかったころ』は短編、中編、長編があるようである。話の骨子は同じようで中編、長編は短編をもとに作られたようです。わたしが読んだのは創元なので長編版ですね。
短編をふくらし粉でふんわり仕上げた砂糖菓子のようなお話です。“ほんわりほっこり”が足りていない方いかが?
2014年7月17日木曜日
悪魔的な魅力について
先日読んだ“狼の王子”に“悪魔的な魅力を持つ男”というワードが出てくるのだが、それをなんとなく考えていたらひとつ思い出したことがあるので書いてみる。
“悪魔的な魅力”というにはオーバーな感じだが、近しい人物・現象をみたことがある。
それはわたしの職場近くで観察・目撃したことだ。職場近くの民家にある夫婦(子供一人)が引っ越してきたのであるが、その奥様がわたし的に非常に美しいと思ったのである。ファション誌から抜け出してきたような美しさみたいなね。プロポーションは抜群で顔も一級な感じだった。わたしは女性全般が可愛らしく美しくみえるいわゆるストライクゾーンがひろい感じなのだが、この女性はその中でも上位にくる感じなのであった。
わたしの判断だけではなく、これは彼女の取り巻きを見ても明らかで、引っ越し直後から子供のつながりで大量のママ友が彼女の家を出入りしていた。時には10人くらいが押し寄せてきていた。これが“悪魔的な魅力”とまではいかないかもしれないが、わたしが観察・目撃した近しい現象である。
その後の観察は不意に終わってしまったのだが。つまり、彼女の姿だけがみられなくなってしまったのである。旦那と子供は居るが彼女は居ないみたいな。なにがあったか知る由もないので憶測とか妄想は控えるが、引っ越しからおよそ半年後にぱったりと姿をみなくなった。
ちなみにその女性と話したこともなく、旦那とも話すこともない。近所の人からの噂というのもない。すべて謎のままである。もう一度いおう、すべて謎のママである。あれ……滑ったかな。
“悪魔的な魅力”というにはオーバーな感じだが、近しい人物・現象をみたことがある。
それはわたしの職場近くで観察・目撃したことだ。職場近くの民家にある夫婦(子供一人)が引っ越してきたのであるが、その奥様がわたし的に非常に美しいと思ったのである。ファション誌から抜け出してきたような美しさみたいなね。プロポーションは抜群で顔も一級な感じだった。わたしは女性全般が可愛らしく美しくみえるいわゆるストライクゾーンがひろい感じなのだが、この女性はその中でも上位にくる感じなのであった。
わたしの判断だけではなく、これは彼女の取り巻きを見ても明らかで、引っ越し直後から子供のつながりで大量のママ友が彼女の家を出入りしていた。時には10人くらいが押し寄せてきていた。これが“悪魔的な魅力”とまではいかないかもしれないが、わたしが観察・目撃した近しい現象である。
その後の観察は不意に終わってしまったのだが。つまり、彼女の姿だけがみられなくなってしまったのである。旦那と子供は居るが彼女は居ないみたいな。なにがあったか知る由もないので憶測とか妄想は控えるが、引っ越しからおよそ半年後にぱったりと姿をみなくなった。
ちなみにその女性と話したこともなく、旦那とも話すこともない。近所の人からの噂というのもない。すべて謎のままである。もう一度いおう、すべて謎のママである。あれ……滑ったかな。
2014年7月14日月曜日
狼の王子
狼の王子 ハヤカワ 新書版HPB クリスチャン・モルク(著) 堀川 志野舞(訳)
先日、本屋で仕入れてきたうちの1冊。以前、本屋で入手しようか迷っていた本。あらすじを読んで、三人の女性の死体、悪魔的な魅力を持つ男、死者の日記、とワードを抽出してみた。
当然のことながら男女間のドロドロが書かれていると推測。読んだことはないが、ハーレクインぽい内容なのかもしれんと思ったのである。男女間のドロドロで、三人の女性の死体だからなあ。わたしの不得意分野だし一度はスルーした。
すこし言い訳。ハーレクインの作品がどんなものだか読んだことがないので想像でしかないが、男女間の性愛・愛憎劇が主な内容だと想像される。これにあらゆる味付けがされているのだろう。かつターゲット層は成人女性全般というところだろう。こういうイメージをハーレクインに抱いている。中らずと雖も遠からずなのじゃないかなあ。
そういうわけで一度はスルーしたものの“狼の王子”というのはなにか幻想的だし、タイトルから“狼の伝承”的なものも書かれいるような感じがする。そのあたりに心惹かれるものもあった。
なにしろ狼である。狼に関しては少なからず思い入れがある。高校3年の1年間は昼休みに図書館に逃げ込んで“オオカミと人間”という本を読んでいるフリをし続けたから。以前にブログ書いているな。わたしの何度かある暗黒時代だ。
それはさて置き、読んでいるフリとはいえ来る日も来る日もなので一通りは読んでいる。そのなかに狼に関する神話とか伝承が記載されていたのは憶えている。
狼は時代、地域により扱われかたが様々で悪魔的であったり英雄的であったり、それらが混ざったりして興味深かった。そんなこんなで迷ったすえに入手してみたわけである。
だいぶ前フリが長かったが、本題の感想的なもの。前フリで推測したように“男女間のドロドロ(男女間の性愛・愛憎劇)”“狼の伝承”はそれはそれはタップリ詰まっていた。
わたしが苦手だなと懸念していた“男女間のドロドロ”はあったが、わたしの懸念は作者の筆力により大きく覆された。
事件の真相は日記という形で読者に提示されるのだが、これがみずみずしく赤裸々で日記を書いた者が亡くなっていることを本当に、本当に、残念に思ったほどだ。
この物語は“死者の日記”が大半を占めている。内容はもちろん陰惨だが、これを大きく上回るみずみずしさがある。読んでいてグイグイ引っ張られる魅力がある。“狼の伝承”もなかなかのものである。
物語の大筋は、三人の女性の死体の謎を“死者の日記(複数あり)”でたどることである。ミステリーに“男女間のドロドロ(男女間の性愛・愛憎劇)”という味付けがされている。
それだけにとらわれてはならないと思った。阿呆なわたしが見当違いしていて、お前は全然読めていないといわれるかもしれないが、おそれずに書いてみる。この物語の底流というかテーマにあるのは“法と道徳”である。
悪魔的な魅力を持つ男によりまわりは大混乱、平穏な生活を送っていた人々が巻き込まれ、個々人が持つ“法と道徳”がグニャグニャにゆがんでゆく。この歪みにも着目してみてほしい。とくに叔母さんのゆがみが哀愁を誘うし怖ろしくもある。
それと、この死者の日記を手に入れて真相を確かめる若者が探偵的な役割をはたす。この若者視点で物語の全容がわかる構造となっている。この若者が死者の日記と現実の世界をつなぐ役割をはたして、かつ若者の物語が絡んでいる。
死者の日記(2冊)を寿司(メイン)とするならば、若者の物語はむらさき、わさび、ガリ、あがりのよう印象である。つまり物語を補強・補助する役割になる。
どちらかというと女性のほうが愉しめる物語のような気がする。わたしは男だが、主要の女性キャラにとても魅力を感じた。難解なところはなく読みやすく面白いと思いました。
最後に、死者の日記は2冊だが、さらにもう1冊の日記の存在が……気になる方は本書をお手に取りください。
先日、本屋で仕入れてきたうちの1冊。以前、本屋で入手しようか迷っていた本。あらすじを読んで、三人の女性の死体、悪魔的な魅力を持つ男、死者の日記、とワードを抽出してみた。
当然のことながら男女間のドロドロが書かれていると推測。読んだことはないが、ハーレクインぽい内容なのかもしれんと思ったのである。男女間のドロドロで、三人の女性の死体だからなあ。わたしの不得意分野だし一度はスルーした。
すこし言い訳。ハーレクインの作品がどんなものだか読んだことがないので想像でしかないが、男女間の性愛・愛憎劇が主な内容だと想像される。これにあらゆる味付けがされているのだろう。かつターゲット層は成人女性全般というところだろう。こういうイメージをハーレクインに抱いている。中らずと雖も遠からずなのじゃないかなあ。
そういうわけで一度はスルーしたものの“狼の王子”というのはなにか幻想的だし、タイトルから“狼の伝承”的なものも書かれいるような感じがする。そのあたりに心惹かれるものもあった。
なにしろ狼である。狼に関しては少なからず思い入れがある。高校3年の1年間は昼休みに図書館に逃げ込んで“オオカミと人間”という本を読んでいるフリをし続けたから。以前にブログ書いているな。わたしの何度かある暗黒時代だ。
それはさて置き、読んでいるフリとはいえ来る日も来る日もなので一通りは読んでいる。そのなかに狼に関する神話とか伝承が記載されていたのは憶えている。
狼は時代、地域により扱われかたが様々で悪魔的であったり英雄的であったり、それらが混ざったりして興味深かった。そんなこんなで迷ったすえに入手してみたわけである。
だいぶ前フリが長かったが、本題の感想的なもの。前フリで推測したように“男女間のドロドロ(男女間の性愛・愛憎劇)”“狼の伝承”はそれはそれはタップリ詰まっていた。
わたしが苦手だなと懸念していた“男女間のドロドロ”はあったが、わたしの懸念は作者の筆力により大きく覆された。
事件の真相は日記という形で読者に提示されるのだが、これがみずみずしく赤裸々で日記を書いた者が亡くなっていることを本当に、本当に、残念に思ったほどだ。
この物語は“死者の日記”が大半を占めている。内容はもちろん陰惨だが、これを大きく上回るみずみずしさがある。読んでいてグイグイ引っ張られる魅力がある。“狼の伝承”もなかなかのものである。
物語の大筋は、三人の女性の死体の謎を“死者の日記(複数あり)”でたどることである。ミステリーに“男女間のドロドロ(男女間の性愛・愛憎劇)”という味付けがされている。
それだけにとらわれてはならないと思った。阿呆なわたしが見当違いしていて、お前は全然読めていないといわれるかもしれないが、おそれずに書いてみる。この物語の底流というかテーマにあるのは“法と道徳”である。
悪魔的な魅力を持つ男によりまわりは大混乱、平穏な生活を送っていた人々が巻き込まれ、個々人が持つ“法と道徳”がグニャグニャにゆがんでゆく。この歪みにも着目してみてほしい。とくに叔母さんのゆがみが哀愁を誘うし怖ろしくもある。
それと、この死者の日記を手に入れて真相を確かめる若者が探偵的な役割をはたす。この若者視点で物語の全容がわかる構造となっている。この若者が死者の日記と現実の世界をつなぐ役割をはたして、かつ若者の物語が絡んでいる。
死者の日記(2冊)を寿司(メイン)とするならば、若者の物語はむらさき、わさび、ガリ、あがりのよう印象である。つまり物語を補強・補助する役割になる。
どちらかというと女性のほうが愉しめる物語のような気がする。わたしは男だが、主要の女性キャラにとても魅力を感じた。難解なところはなく読みやすく面白いと思いました。
最後に、死者の日記は2冊だが、さらにもう1冊の日記の存在が……気になる方は本書をお手に取りください。
2014年7月10日木曜日
ガニメデ支配
ガニメデ支配 創元 フィリップ・K・ディック/レイ・ネルスン
先日、本屋で仕入れてきた小説である。ディックの翻訳本はかなり所有していると思う。現在段ボールの中なので確認は出来ない。所有するディックの小説の大半は随分昔に読んでいる。『高い城の男』といくつかは未読だ。
一時期はディックにハマっていた。同時期にハマっていたのが村上春樹。春樹は『ノルウェイの森』の手前でまるで興味が無くなってしまった。その当時は春樹とディックに何かしらの共通性があるように感じていたなあ。記憶の彼方のことなのでどのあたりがそう感じたのか不明なのだけれども……ただ強い中毒性があったな。今になって思うと、春樹は中二病的な麻疹的な感じがする。ディックの中毒性は、煙草に似ているかな。完全に毒の中毒性である。
今回、久しぶりのディック。『ガニメデ支配』を読んだ印象は、ライトノベルだな。例えていうと、菊池秀行氏が書いたソノラマ文庫のエイリアンシリーズである。これはわたし的にはかなり正しい例えになる。菊池秀行氏がこれを読んだら驚くレベルだと思われる。読んでいて終始それだけが想起されたのはわたしだけだろうか。
先日、本屋で仕入れてきた小説である。ディックの翻訳本はかなり所有していると思う。現在段ボールの中なので確認は出来ない。所有するディックの小説の大半は随分昔に読んでいる。『高い城の男』といくつかは未読だ。
一時期はディックにハマっていた。同時期にハマっていたのが村上春樹。春樹は『ノルウェイの森』の手前でまるで興味が無くなってしまった。その当時は春樹とディックに何かしらの共通性があるように感じていたなあ。記憶の彼方のことなのでどのあたりがそう感じたのか不明なのだけれども……ただ強い中毒性があったな。今になって思うと、春樹は中二病的な麻疹的な感じがする。ディックの中毒性は、煙草に似ているかな。完全に毒の中毒性である。
今回、久しぶりのディック。『ガニメデ支配』を読んだ印象は、ライトノベルだな。例えていうと、菊池秀行氏が書いたソノラマ文庫のエイリアンシリーズである。これはわたし的にはかなり正しい例えになる。菊池秀行氏がこれを読んだら驚くレベルだと思われる。読んでいて終始それだけが想起されたのはわたしだけだろうか。
2014年7月1日火曜日
阿呆が『ガラスの鍵』を読んだら
先日読んだ作品である。創元の17版。
読み終わった直後の感想は、なんだかぼんやりしているなあ。という感じ。なにがぼんやりしているかというと、わたしの理解力がである。素直に、率直な感想は、どのへんが傑作なの? である。
この本を入手したのは随分前だ。入手した理由は、わたしが好きな作家ジョー・ゴアズが『ハメット』を書いているので入手だけはしておいたというもの。ちなみにジョー・ゴアズの『ハメット』は読んでもいないし未入手だったりする。
ダーシル・ハメットの名を知らないというわけではない。非常に有名で偉大な作家であるという“知識”はあった。そういうわけで、ジョー・ゴアズが推すハメット。『ガラスの鍵』が面白いであろうことは間違いない事実なのである。
それでも長年読もうとしなかったのは、正確を記すなら、何度か数ページ読んでやめたのは面白くなさそうな予感がしたからだ。必ず解説を先に読むのだが、もうこの時点であまり面白くないと判断していた、と思う。今回読み切ったが、やはり解説を先に読んでも面白そうには思えなかった。
今回は何故読み切ったかというと、手元に未読の本が『ガラスの鍵』とその他数冊の小説しかなく(段ボールには未読の小説が腐るほどある)、なおかつ当日は雨が降っていて仕事を休んで(さぼった)家を出たくなかったので薄めの『ガラスの鍵』を読んで暇を潰そうと思ったというじつにくだらない理由なのである。
その数日前にジョー・ゴアズの『路上の事件』を読み終わっていたといのもほんの少しあるかな。で、最初に書いたような感想になる。
読み終わったので気兼ねなくWEBで感想を読み漁るかな。それでわたしの鈍い頭で足りない成分を補うつもりだった。少し読んで、やっぱりよく考えて、自分なりに面白いと感じるようにしたいなと思った。
自分なりの感想というか面白いと思える前向きなものを書いてみます。というか思ったことなどいろいろ書いてみてようかな。
まずは『ガラスの鍵』を読むまえの前フリ的なこと。前提としてわたしは阿呆である。これは大事なこと。読書は好きだが読書量は多いほうではない。感想は苦手。ミステリーというジャンルはそれほど好みではない。古典とか名作とされるものはほぼ読んだ記憶がない。
リチャード・スタークが大好きである。リチャード・スタークを経由してジョー・ゴアズを知った。ゴアズの作品は4,5冊読んだ。わたし的にスタークが100スキーならゴアズは75スキーだ。ゴアズ経由でハメットを入手、ハメットは今回の『ガラスの鍵』が初読みである。ちなみに今回読んだ『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。
客観視すると、エンターテインメントしているかしていないかというのがわたしの面白がる基準だと思う。これはとても曖昧な基準だけれどもそういうことになる。
そろそろ本題の『ガラスの鍵』について。念頭においていたのはこの作品がハードボイルドであるということ。ミステリー的には重きをおいていないことである。これは解説にそのように書かれていた。つまりハードボイルドであるということをもっとも気にして読んだということ。
ハードボイルドというと必ず思い出すのは、『ハードボイルドって本当は何なの?』http://www.nsknet.or.jp/~jkimura/jp-tgs/hardboiled-j.html という翻訳家/作家:木村二郎氏のガムシュー・サイトである。これは随分前に読んでハードボイルドについて認識を改めた記憶がある。
もう一度、正確に書くと、『ガラスの鍵』を読むにあたって気にしていたのは“ハードボイルド文体”である。だいたにおいてこのようなことを気にして読んだらまず面白いとはならない。まあしかし、読み方としては間違いではないであろうと思われる。
次に読んでいて一番気になったのは主人公の立ち位置というか軸足というかそういうところ。ハードボイルド文体で書かれているためそのあたりがハッキリしない。というかこれは当然のことになる。読み手が主人公の行動や発言から推測しなくてはならない。
つまるところハードボイルド文体という手法がわたしにはまったく合わないのだろう。まったくというのは言い過ぎかな。ハードボイルド文体に徹しすぎたものには馴染みがないので戸惑ったというべきなのか。とりあえず初日の感想的なものはここまで。
数日後
読み返しなし。主人公はある殺人現場(事後)に出くわして、これを追うというのが話の大筋。犯人を追う当初は自分の利害が大きい。自分の利を回収してもこれを追うことになる。これはめぐりめぐって自分の立ち位置的に利があるから。ただし途中からこの利がほぼなくなっても犯人を追うことになる。こうなると主人公の行動原理が読みづらくなる。
ただしこれまでの主人公の行動、発言から以下のことが読み取れる。彼の発言は嘘偽りが少なそうである。他人の発言を注意深く聞きそれを次の行動の軸にする。というか例えが違う気がするが、わらしべ長者的に他人の発言を利用して真相に迫る。暴力に対して暴力の応酬は少ない。暴力による解決を望んでいないようである。女性に対してドライな感じ。割と人当りがいいようだ。曲がったことがあまり好きではなさそうだ。利用できそうなものは極力利用する(ただし銃の利用はほぼない)。このぐらいかな。
ここまで書いても彼の行動理由がわからない部分もいくつかある。この推測不可なところがもやもやして面白味を感じづらいのかもしれない。それとミステリーに重きをおいていないというところも話に引き込まれづらいということもあるような気がする。
いったんここまでで感想的なもの第2弾終了。この続きは改めて書く。
数日後(感想的なもの第3弾)
読み返してみた。話の筋もわかっているので集中して主人公の心理を推測しながらじっくり読んでみた。
まずは、話の大筋を整理する。組織の身内が容疑者として身柄が拘束されている事件。これと組織のボスが後押しすることになった上院議員の息子が殺害された事件。この二つの事件を追うのがこの話の骨格になる。
主人公の立ち位置は、組織のボスの親友でありアドバイザー。いわゆる正業にはついておらず、本人いわく“賭博師であり政治家のヒモ”である。
組織というとマフィアなどの犯罪組織をイメージするが若干違い、その地域を実質的に支配する権力者組織ではあるが真っ黒な犯罪組織ではなくややグレーな組織。ボスの正業は土建業者の社長である。
主人公の人となりは、組織のボスの右腕であるように、組織の支配する地域のあらゆることに精通する切れ者。
性格はどちらかというと温厚。やや無鉄砲なところあり。暴力による問題解決を好まない。これに付随して銃は基本使わない。ただし必要な場合は最小限の使用はする。
人当りがよく顔が広く、会話が上手くかけひきは得意。女性にも人気があるのは性格にもよるが、おそらく容姿も整っている様子である。服装にもこだわりがあるというのも会話からうかがえる。住んでいる家も豪邸とはいわないがかなりよいし、金に困っている様子はない。
ちなみに明確ではないがニューヨークから流れてきて1年ちょいで現在の地位にいるようであるし、政治の舞台裏にうんざりしているような発言や犯人捜しでのニューヨークでの出来事からも主人公のひととなりがうかがえる。
初読ではハードボイルド文体にてこずって主人公の立ち位置というか軸足(行動理由)がわかり辛いと書いているが、読み直ししてみると、全然そういう感じではなかった。
おそらく主人公の立ち位置による軸足だけにとらわれて主人公の心理というか倫理感を読み切れていなかったため、途中から主人公の行動原理が読みづらくなると初読では感じたのだろう。
読み直しをすると主人公の倫理感が完全ではないがかなり明瞭にわかったような気がしてぼんやりしているという感想はなくなった。
それと解説を読んでも面白そうには感じなかったということをボンクラなわたしが書いていますが、本文を読み直してから再度読んだらとても素晴らしい解説であると思いました。要点がじつに明快に書いてあります。失礼いたしました。
それとこれはわたしの問題なのだが、ななめ読みというか読み飛ばしというか空読みを結構していて、やはり、わたしは、阿呆なのだなと再認識した。
初読では『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。としているが読み直し後では50スキーに評価が上がった。名作なのに50スキーなのかよという突っ込みがあるだろうが今現在のところはこれが本心だ。
ヘミングウェイに影響されたハメット。ハメットを高く評価している後継のチャンドラー。これは解説に書いてあった。そしたらもっと評価すべきだよと思うが、あいにくわたしは阿呆なので真の意味での理解には及ばないのだから仕方がない。
ここで大きく脱線してもいいかなあ。ハメットさんにも申しわけないし、ハメットファンにも、ミステリーファンにも、いわゆる文学に真面目な方々にも、出版界にも、翻訳者様にも大変、大変失礼いたしました。と、先に謝っておきます。
あのですね、50スキーからもう少し評価を上げる読み方を本当はしていました。わたしの場合はこれで50から65スキーに上がったのです。怒らないでくださいよ。本当に怒らないでくださいね。お願いしますよ。
それは……主人公ならびに登場人物の全員を……擬人化した犬として読んだのです。わーごめんなさい。本物の犬が2匹出てきますがこれは擬人化しない犬としました。犬種に詳しくないので、わたしの脳内ではブルドッグとボクサー犬が多数になってしまいました。猿のようなブルドックも登場しますよ。いひひひ。
ここで犬のみなさんにも、犬スキーの方々にも謝らなければなりませんね。ごめんなさい。ワワンワワン。
追記:よく考えたら擬人化という表現は違うな。擬犬化かな。
読み終わった直後の感想は、なんだかぼんやりしているなあ。という感じ。なにがぼんやりしているかというと、わたしの理解力がである。素直に、率直な感想は、どのへんが傑作なの? である。
この本を入手したのは随分前だ。入手した理由は、わたしが好きな作家ジョー・ゴアズが『ハメット』を書いているので入手だけはしておいたというもの。ちなみにジョー・ゴアズの『ハメット』は読んでもいないし未入手だったりする。
ダーシル・ハメットの名を知らないというわけではない。非常に有名で偉大な作家であるという“知識”はあった。そういうわけで、ジョー・ゴアズが推すハメット。『ガラスの鍵』が面白いであろうことは間違いない事実なのである。
それでも長年読もうとしなかったのは、正確を記すなら、何度か数ページ読んでやめたのは面白くなさそうな予感がしたからだ。必ず解説を先に読むのだが、もうこの時点であまり面白くないと判断していた、と思う。今回読み切ったが、やはり解説を先に読んでも面白そうには思えなかった。
今回は何故読み切ったかというと、手元に未読の本が『ガラスの鍵』とその他数冊の小説しかなく(段ボールには未読の小説が腐るほどある)、なおかつ当日は雨が降っていて仕事を休んで(さぼった)家を出たくなかったので薄めの『ガラスの鍵』を読んで暇を潰そうと思ったというじつにくだらない理由なのである。
その数日前にジョー・ゴアズの『路上の事件』を読み終わっていたといのもほんの少しあるかな。で、最初に書いたような感想になる。
読み終わったので気兼ねなくWEBで感想を読み漁るかな。それでわたしの鈍い頭で足りない成分を補うつもりだった。少し読んで、やっぱりよく考えて、自分なりに面白いと感じるようにしたいなと思った。
自分なりの感想というか面白いと思える前向きなものを書いてみます。というか思ったことなどいろいろ書いてみてようかな。
まずは『ガラスの鍵』を読むまえの前フリ的なこと。前提としてわたしは阿呆である。これは大事なこと。読書は好きだが読書量は多いほうではない。感想は苦手。ミステリーというジャンルはそれほど好みではない。古典とか名作とされるものはほぼ読んだ記憶がない。
リチャード・スタークが大好きである。リチャード・スタークを経由してジョー・ゴアズを知った。ゴアズの作品は4,5冊読んだ。わたし的にスタークが100スキーならゴアズは75スキーだ。ゴアズ経由でハメットを入手、ハメットは今回の『ガラスの鍵』が初読みである。ちなみに今回読んだ『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。
客観視すると、エンターテインメントしているかしていないかというのがわたしの面白がる基準だと思う。これはとても曖昧な基準だけれどもそういうことになる。
そろそろ本題の『ガラスの鍵』について。念頭においていたのはこの作品がハードボイルドであるということ。ミステリー的には重きをおいていないことである。これは解説にそのように書かれていた。つまりハードボイルドであるということをもっとも気にして読んだということ。
ハードボイルドというと必ず思い出すのは、『ハードボイルドって本当は何なの?』http://www.nsknet.or.jp/~jkimura/jp-tgs/hardboiled-j.html という翻訳家/作家:木村二郎氏のガムシュー・サイトである。これは随分前に読んでハードボイルドについて認識を改めた記憶がある。
もう一度、正確に書くと、『ガラスの鍵』を読むにあたって気にしていたのは“ハードボイルド文体”である。だいたにおいてこのようなことを気にして読んだらまず面白いとはならない。まあしかし、読み方としては間違いではないであろうと思われる。
次に読んでいて一番気になったのは主人公の立ち位置というか軸足というかそういうところ。ハードボイルド文体で書かれているためそのあたりがハッキリしない。というかこれは当然のことになる。読み手が主人公の行動や発言から推測しなくてはならない。
つまるところハードボイルド文体という手法がわたしにはまったく合わないのだろう。まったくというのは言い過ぎかな。ハードボイルド文体に徹しすぎたものには馴染みがないので戸惑ったというべきなのか。とりあえず初日の感想的なものはここまで。
数日後
読み返しなし。主人公はある殺人現場(事後)に出くわして、これを追うというのが話の大筋。犯人を追う当初は自分の利害が大きい。自分の利を回収してもこれを追うことになる。これはめぐりめぐって自分の立ち位置的に利があるから。ただし途中からこの利がほぼなくなっても犯人を追うことになる。こうなると主人公の行動原理が読みづらくなる。
ただしこれまでの主人公の行動、発言から以下のことが読み取れる。彼の発言は嘘偽りが少なそうである。他人の発言を注意深く聞きそれを次の行動の軸にする。というか例えが違う気がするが、わらしべ長者的に他人の発言を利用して真相に迫る。暴力に対して暴力の応酬は少ない。暴力による解決を望んでいないようである。女性に対してドライな感じ。割と人当りがいいようだ。曲がったことがあまり好きではなさそうだ。利用できそうなものは極力利用する(ただし銃の利用はほぼない)。このぐらいかな。
ここまで書いても彼の行動理由がわからない部分もいくつかある。この推測不可なところがもやもやして面白味を感じづらいのかもしれない。それとミステリーに重きをおいていないというところも話に引き込まれづらいということもあるような気がする。
いったんここまでで感想的なもの第2弾終了。この続きは改めて書く。
数日後(感想的なもの第3弾)
読み返してみた。話の筋もわかっているので集中して主人公の心理を推測しながらじっくり読んでみた。
まずは、話の大筋を整理する。組織の身内が容疑者として身柄が拘束されている事件。これと組織のボスが後押しすることになった上院議員の息子が殺害された事件。この二つの事件を追うのがこの話の骨格になる。
主人公の立ち位置は、組織のボスの親友でありアドバイザー。いわゆる正業にはついておらず、本人いわく“賭博師であり政治家のヒモ”である。
組織というとマフィアなどの犯罪組織をイメージするが若干違い、その地域を実質的に支配する権力者組織ではあるが真っ黒な犯罪組織ではなくややグレーな組織。ボスの正業は土建業者の社長である。
主人公の人となりは、組織のボスの右腕であるように、組織の支配する地域のあらゆることに精通する切れ者。
性格はどちらかというと温厚。やや無鉄砲なところあり。暴力による問題解決を好まない。これに付随して銃は基本使わない。ただし必要な場合は最小限の使用はする。
人当りがよく顔が広く、会話が上手くかけひきは得意。女性にも人気があるのは性格にもよるが、おそらく容姿も整っている様子である。服装にもこだわりがあるというのも会話からうかがえる。住んでいる家も豪邸とはいわないがかなりよいし、金に困っている様子はない。
ちなみに明確ではないがニューヨークから流れてきて1年ちょいで現在の地位にいるようであるし、政治の舞台裏にうんざりしているような発言や犯人捜しでのニューヨークでの出来事からも主人公のひととなりがうかがえる。
初読ではハードボイルド文体にてこずって主人公の立ち位置というか軸足(行動理由)がわかり辛いと書いているが、読み直ししてみると、全然そういう感じではなかった。
おそらく主人公の立ち位置による軸足だけにとらわれて主人公の心理というか倫理感を読み切れていなかったため、途中から主人公の行動原理が読みづらくなると初読では感じたのだろう。
読み直しをすると主人公の倫理感が完全ではないがかなり明瞭にわかったような気がしてぼんやりしているという感想はなくなった。
それと解説を読んでも面白そうには感じなかったということをボンクラなわたしが書いていますが、本文を読み直してから再度読んだらとても素晴らしい解説であると思いました。要点がじつに明快に書いてあります。失礼いたしました。
それとこれはわたしの問題なのだが、ななめ読みというか読み飛ばしというか空読みを結構していて、やはり、わたしは、阿呆なのだなと再認識した。
初読では『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。としているが読み直し後では50スキーに評価が上がった。名作なのに50スキーなのかよという突っ込みがあるだろうが今現在のところはこれが本心だ。
ヘミングウェイに影響されたハメット。ハメットを高く評価している後継のチャンドラー。これは解説に書いてあった。そしたらもっと評価すべきだよと思うが、あいにくわたしは阿呆なので真の意味での理解には及ばないのだから仕方がない。
ここで大きく脱線してもいいかなあ。ハメットさんにも申しわけないし、ハメットファンにも、ミステリーファンにも、いわゆる文学に真面目な方々にも、出版界にも、翻訳者様にも大変、大変失礼いたしました。と、先に謝っておきます。
あのですね、50スキーからもう少し評価を上げる読み方を本当はしていました。わたしの場合はこれで50から65スキーに上がったのです。怒らないでくださいよ。本当に怒らないでくださいね。お願いしますよ。
それは……主人公ならびに登場人物の全員を……擬人化した犬として読んだのです。わーごめんなさい。本物の犬が2匹出てきますがこれは擬人化しない犬としました。犬種に詳しくないので、わたしの脳内ではブルドッグとボクサー犬が多数になってしまいました。猿のようなブルドックも登場しますよ。いひひひ。
ここで犬のみなさんにも、犬スキーの方々にも謝らなければなりませんね。ごめんなさい。ワワンワワン。
追記:よく考えたら擬人化という表現は違うな。擬犬化かな。
2013年11月21日木曜日
バッドタイム・ブルース ニックはギャンブル好き、酒好き、女好き、悪徳警官
とにかく暇だったので食材を仕入れたついでに本屋に寄った。分厚い本を探す。
「バットタイム・ブルース」を手に取って、あらすじを読んだ。駄目警官の話らしい。分厚いしこれをレジに持っていった。
帰宅して2匹の猫に餌を用意して、自分の夕飯をつくり食べ終える。風呂は済ませているので、猫のケアをする。ケアはウエットティッシュで目、鼻を拭き、綿棒で鼻の穴を掃除して、綿棒にウエットティッシュをクルリと巻いて耳掃除をする。それからあごをコールドクリームで掃除する。それが終わったら歯磨きをして、足をウエットティッシュで拭き、お尻もウエットティッシュで拭く。ついでに自分の耳掃除をする。
これが終わったら5分くらいパラシュートコードで猫と遊び、寝る準備をする。1匹の猫を寝袋の足元に入れ、もう1匹を右わき腹に招き入れる。さらに布団を掛けてモゾモゾしながらいい塩梅のポジションにして寝る準備が整った。
早速、「バットタイム・ブルース」を読み始める。出足から主人公の中年警官ニックの破滅シーンから始まる。金が尽きて自己破産状態で住むところもない。
警察署に戻って、ある金持ちが行方不明との一報。大人の行方不明は優先順位が低く、捜査には誰も行かない。金の匂いがしたニックは金持ちの邸宅に向かう。
あろうことかニックはそこで金持ちの邸宅で寝泊まり、飲食、プールで泳ぎ、衣類を勝手に着服。ベットサイドのテーブルに置いてあった財布までポケットに仕舞い込む始末。
数日後に腐敗臭に気づき隠し部屋から自殺であろう金持ちの遺体を発見する。ここから物語が加速していく。ニックは金持ちの残り資産をどうにかして自分のものにして海外に逃亡する計画を立てる。そうすると金持ちのことをより深く知る必要があり、そこからニックは訳のわからない事件に巻き込まれていく。
事件の真相に迫ることが金を手に入れることになり、ニックはどんどんスタンドプレイを加速させることになる。そして真相は? 金は? 終焉に向かってニックは暴走する。
というお話でした。とても面白かったです。作者の処女作ということですが、一級のエンターテナーであり、エンターテーメントだと思います。
「バットタイム・ブルース」を手に取って、あらすじを読んだ。駄目警官の話らしい。分厚いしこれをレジに持っていった。
帰宅して2匹の猫に餌を用意して、自分の夕飯をつくり食べ終える。風呂は済ませているので、猫のケアをする。ケアはウエットティッシュで目、鼻を拭き、綿棒で鼻の穴を掃除して、綿棒にウエットティッシュをクルリと巻いて耳掃除をする。それからあごをコールドクリームで掃除する。それが終わったら歯磨きをして、足をウエットティッシュで拭き、お尻もウエットティッシュで拭く。ついでに自分の耳掃除をする。
これが終わったら5分くらいパラシュートコードで猫と遊び、寝る準備をする。1匹の猫を寝袋の足元に入れ、もう1匹を右わき腹に招き入れる。さらに布団を掛けてモゾモゾしながらいい塩梅のポジションにして寝る準備が整った。
早速、「バットタイム・ブルース」を読み始める。出足から主人公の中年警官ニックの破滅シーンから始まる。金が尽きて自己破産状態で住むところもない。
警察署に戻って、ある金持ちが行方不明との一報。大人の行方不明は優先順位が低く、捜査には誰も行かない。金の匂いがしたニックは金持ちの邸宅に向かう。
あろうことかニックはそこで金持ちの邸宅で寝泊まり、飲食、プールで泳ぎ、衣類を勝手に着服。ベットサイドのテーブルに置いてあった財布までポケットに仕舞い込む始末。
数日後に腐敗臭に気づき隠し部屋から自殺であろう金持ちの遺体を発見する。ここから物語が加速していく。ニックは金持ちの残り資産をどうにかして自分のものにして海外に逃亡する計画を立てる。そうすると金持ちのことをより深く知る必要があり、そこからニックは訳のわからない事件に巻き込まれていく。
事件の真相に迫ることが金を手に入れることになり、ニックはどんどんスタンドプレイを加速させることになる。そして真相は? 金は? 終焉に向かってニックは暴走する。
というお話でした。とても面白かったです。作者の処女作ということですが、一級のエンターテナーであり、エンターテーメントだと思います。
2013年10月28日月曜日
タイムマシーンで三分前に戻ってカップラーメンにお湯を注ぐ
『時の地図』を先日読んだ。購入したのは1年以上前のことだ。引っ越してから未だに段ボールから荷物(主に本)を出しておらず、悪党パーカーを読みたくて探していて、目についたのでついでに引っ張り出した。
“SFが読みたい2010年3位”という緑色の帯が付いているハヤカワ文庫のNV。購入したのはおそらく帯に釣られたのかな? それともSFテイストの本が読みたいと思ったのかもしれない。ただ、購入してはみたもののあまり面白くなさそうなので放置したと思う。
ともあれ読み始めた。冒頭からなんだか嫌な予感。神の視点で書かれている部分で、このシーンから物語を始めようかとか言い出す。そしてそれがちょくちょく出てくる。それは作者の語りだ。つまり、「この物語は私が創作したのです」としつこく宣言されているわけで、気になるのである。それをあえてやっているのだから嫌な予感がしたのである。
物語の内容には触れませんが、3部構成になっています。面白いのは事実ですが、嫌な予感があるので警戒しながら読み続けました。第3部は意外な方向に話が飛んで行きます。SFらしい展開になるのです。ですが、“SFが読みたい2010年3位”でかつ、青背ではない白背のNVなのもなんだか引っかかりながら読み進めました。
そして無事物語は終わるのですが……なんていうか、やはりというか嫌な予感が的中しました。つまりこれはSFぽいNVなのです。それが悪いということではなく、駄目なパターンのSFぽいNVということなのです。
内容の核心に触れてしまいますがあえて“駄目なパターンのSFぽいNV”だと思った理由を書きます。物語はタイムマシーンをモチーフにして進められて行きます。1部と2部は面白いSFぽいNVだと思いました。で、問題は3部です。これはある意味SFといっても差支えないのですが……最後で作者がしゃやりでてきます。これが上手に処理されていれば良い余韻にひたれる物語になったのですが、わたしには“駄目なパターンのSFぽいNV”に思われました。
もう少し突っ込んでみようかな。タイムマシーンをモチーフにしているので平行宇宙の観念が出てくるのですが、これと作者のでしゃばりがとても悪いブレンドで最後にやらかします。つまり、平行宇宙は無限にあるのだからこの物語も平行宇宙のひとつだとのたまりやがるのです。鼻につきます。
もう全部ぶち壊し。興ざめです。この物語も平行宇宙のひとつという理屈は納得できます。物語の全知全能の神様である作者が物語にあえてでしゃばってでてきていた理由はこれを言いたかっただけなのです。作者のでしゃばりが警戒につながり物語に没頭できないというのもありましたね。
あとはタイムマシーンがモチーフでありながら3部では時間移動が超能力ですからもう笑うしかない。1部2部の面白さが台無しです。“平行宇宙の観念”というかその手のバリエーションはある意味もう手垢がついてしまっていると思うので、よほど上手くやらないと駄目だろうと思う。ハッキリいうと夢落ちぽくなってしまっている。
ともあれ読み始めた。冒頭からなんだか嫌な予感。神の視点で書かれている部分で、このシーンから物語を始めようかとか言い出す。そしてそれがちょくちょく出てくる。それは作者の語りだ。つまり、「この物語は私が創作したのです」としつこく宣言されているわけで、気になるのである。それをあえてやっているのだから嫌な予感がしたのである。
物語の内容には触れませんが、3部構成になっています。面白いのは事実ですが、嫌な予感があるので警戒しながら読み続けました。第3部は意外な方向に話が飛んで行きます。SFらしい展開になるのです。ですが、“SFが読みたい2010年3位”でかつ、青背ではない白背のNVなのもなんだか引っかかりながら読み進めました。
そして無事物語は終わるのですが……なんていうか、やはりというか嫌な予感が的中しました。つまりこれはSFぽいNVなのです。それが悪いということではなく、駄目なパターンのSFぽいNVということなのです。
内容の核心に触れてしまいますがあえて“駄目なパターンのSFぽいNV”だと思った理由を書きます。物語はタイムマシーンをモチーフにして進められて行きます。1部と2部は面白いSFぽいNVだと思いました。で、問題は3部です。これはある意味SFといっても差支えないのですが……最後で作者がしゃやりでてきます。これが上手に処理されていれば良い余韻にひたれる物語になったのですが、わたしには“駄目なパターンのSFぽいNV”に思われました。
もう少し突っ込んでみようかな。タイムマシーンをモチーフにしているので平行宇宙の観念が出てくるのですが、これと作者のでしゃばりがとても悪いブレンドで最後にやらかします。つまり、平行宇宙は無限にあるのだからこの物語も平行宇宙のひとつだとのたまりやがるのです。鼻につきます。
もう全部ぶち壊し。興ざめです。この物語も平行宇宙のひとつという理屈は納得できます。物語の全知全能の神様である作者が物語にあえてでしゃばってでてきていた理由はこれを言いたかっただけなのです。作者のでしゃばりが警戒につながり物語に没頭できないというのもありましたね。
あとはタイムマシーンがモチーフでありながら3部では時間移動が超能力ですからもう笑うしかない。1部2部の面白さが台無しです。“平行宇宙の観念”というかその手のバリエーションはある意味もう手垢がついてしまっていると思うので、よほど上手くやらないと駄目だろうと思う。ハッキリいうと夢落ちぽくなってしまっている。
2012年4月10日火曜日
処方箋は、読まない本
“オオカミと人間”という本をamazonで入手した。ちょっと真面目な本である。普段のわたしはこういった本は絶対間違っても入手しない。
何故この本を入手したのかというと、高校3年の時に図書室で読んだことがあるからというだけの話なのである。この時期は学校に通うだけで苦痛で、上っ面だけの友達(問題は自分にある)と付き合うのが最大限に苦痛だった。授業は退屈だし、休み時間は手持無沙汰で、ましてや昼休みなんて地獄にしか感じられなかった。
今にして思えば中学になってから人付き合いが苦手になっていた。理由は中学から“喧嘩を封印”してしまったからだと思われる。もっとも得意だった“コミュニケーションとしての喧嘩”を使わないのだから相当なストレスだったのである。高校3年の時期がおそらくそのピークだったのだと思われる。“喧嘩を封印”しなかったら今の自分はどうしようもないクズになっていたとも思う。今だってたいした人間ではないのだが。
話を戻します。
そんなこんなで昼休みは図書室で過ごすことにした。もちろん本なんて読む気はなかったが、何か読んでいる振りをしないと不都合だったので“オオカミと人間”を手に取っただけなのである。
1年間、昼休みは図書室で“オオカミと人間”を読んでいる振りをし続けたのである。とはいえ、読んでいる振りも苦痛になってきて、読むとはなしに読んでいたのである。面白いかといえば退屈な本である。人間というフィルターを通しているということを意識的に自覚させながら、オオカミを多角的視点により分析している感じの本。オオカミを触媒にして人間の愚かさを浮き彫りにする的なものだったような感じ。ハッキリいって退屈な本である。
一通り読んで、他の本でも読もうとか思うこともなく、毎日昼休みには“オオカミと人間”である。何度も何度も飽きもせず“オオカミと人間”なのである。本当は飽き飽きしていたのだが“オオカミと人間”である。
こうなってくると高校に通うのではなく、“オオカミと人間”を昼休みに読みに行くだけという。かといってそれが楽しいかというとそういうことではない。長い昼休みを誤魔化すだけという動機なのであって、大抵は読んでいる振りをしながら寝ているという……
今から考えれば、高校なんてわたしには意味は無く、体裁だけのために通っていただけ。本当のところ働いていた方がよっぽど自分のためになったと思うし、親にも無駄な出費をさせただけだったな。ごめんなさい。
不意に思い出した“オオカミと人間”をamazonで検索。あったあった。懐かしい感じ。郷愁にかられて入手。高校時代なんて絶対に戻りたくないし、長い昼休みを誤魔化す図書室なんて戻りたくもない。図書室のおばちゃんもガミガミうるさいヒステリーだったし。
人間とは矛盾した生き物なのである。良い思い出ではないのに“オオカミと人間”を入手したりするのだから。ひょっとすると、今の自分が“あの袋小路”的な精神状況にあるのかもしれず。苦痛を緩和するための処方箋が“オオカミと人間”なのかもしれない。入手しただけで読むことはたぶん無いと思う。パラパラするだけ。
何故この本を入手したのかというと、高校3年の時に図書室で読んだことがあるからというだけの話なのである。この時期は学校に通うだけで苦痛で、上っ面だけの友達(問題は自分にある)と付き合うのが最大限に苦痛だった。授業は退屈だし、休み時間は手持無沙汰で、ましてや昼休みなんて地獄にしか感じられなかった。
今にして思えば中学になってから人付き合いが苦手になっていた。理由は中学から“喧嘩を封印”してしまったからだと思われる。もっとも得意だった“コミュニケーションとしての喧嘩”を使わないのだから相当なストレスだったのである。高校3年の時期がおそらくそのピークだったのだと思われる。“喧嘩を封印”しなかったら今の自分はどうしようもないクズになっていたとも思う。今だってたいした人間ではないのだが。
話を戻します。
そんなこんなで昼休みは図書室で過ごすことにした。もちろん本なんて読む気はなかったが、何か読んでいる振りをしないと不都合だったので“オオカミと人間”を手に取っただけなのである。
1年間、昼休みは図書室で“オオカミと人間”を読んでいる振りをし続けたのである。とはいえ、読んでいる振りも苦痛になってきて、読むとはなしに読んでいたのである。面白いかといえば退屈な本である。人間というフィルターを通しているということを意識的に自覚させながら、オオカミを多角的視点により分析している感じの本。オオカミを触媒にして人間の愚かさを浮き彫りにする的なものだったような感じ。ハッキリいって退屈な本である。
一通り読んで、他の本でも読もうとか思うこともなく、毎日昼休みには“オオカミと人間”である。何度も何度も飽きもせず“オオカミと人間”なのである。本当は飽き飽きしていたのだが“オオカミと人間”である。
こうなってくると高校に通うのではなく、“オオカミと人間”を昼休みに読みに行くだけという。かといってそれが楽しいかというとそういうことではない。長い昼休みを誤魔化すだけという動機なのであって、大抵は読んでいる振りをしながら寝ているという……
今から考えれば、高校なんてわたしには意味は無く、体裁だけのために通っていただけ。本当のところ働いていた方がよっぽど自分のためになったと思うし、親にも無駄な出費をさせただけだったな。ごめんなさい。
不意に思い出した“オオカミと人間”をamazonで検索。あったあった。懐かしい感じ。郷愁にかられて入手。高校時代なんて絶対に戻りたくないし、長い昼休みを誤魔化す図書室なんて戻りたくもない。図書室のおばちゃんもガミガミうるさいヒステリーだったし。
人間とは矛盾した生き物なのである。良い思い出ではないのに“オオカミと人間”を入手したりするのだから。ひょっとすると、今の自分が“あの袋小路”的な精神状況にあるのかもしれず。苦痛を緩和するための処方箋が“オオカミと人間”なのかもしれない。入手しただけで読むことはたぶん無いと思う。パラパラするだけ。
2012年3月31日土曜日
待つわ いつまでも待つわ 死ぬまでは
ヴォルコシガン・シリーズ
著者:ロイス・マクマスター・ビジョルド 訳者:小木曽絢子
戦士志願 初版:1991年1月30日
自由軌道 初版:1991年8月30日
親愛なるクローン 初版:1993年12月24日
無限の境界 初版:1994年7月15日
ヴォル・ゲーム 初版:1996年10月25日
名誉のかけら 初版:1997年10月24日
バラヤー内乱 初版:2000年12月22日
天空の遺産 初版:2001年9月28日
ミラー・ダンス 上/下 初版:2002年7月31日
遺伝子の使命 初版:2003年12月26日
メモリー 上/下 初版:2006年7月28日
ミラー衛星衝突 上/下 初版:2012年3月23日
“ミラー・ダンス”が新刊で発売された時期が2002年で、面白そうなのでこれを購入しようと思ったら、シリーズものだった。いったんは躊躇するものの、根拠のない確信があったので戦士志願~ミラー・ダンスまでの10冊をレジに持っていた。と、いうのが10年前のこと。
わたしは本を選ぶのに解説を必ず読む。ネタバレ注意とか一切無視して読む。ここで“根拠のない確信”があったら購入を決める。で、とりあえず本棚に放り込む。
10年前のことなので記憶がさだかではないが、戦士志願を読み始める。これがめちゃくちゃ面白い。金鉱を掘り当てた気分だったのは今でも鮮明に憶えている。一気に戦士志願~ミラー・ダンスまでを読み切ってしまった。それで“遺伝子の使命”が発売されるのを首を長くして待っていたことも懐かしい記憶である。“メモリー”が発売されるのも随分焦らされた記憶がある。
それで待てど暮らせどアナウンスがあったコマール(ミラー衛星衝突)が発売されることはなく、3年が経ち、半ば諦めてついには忘れていたのです。
先日、ふらりと本屋に立ち寄ったら、“ミラー衛星衝突 上/下”を発見! 即確保。待つこと6年。直ぐに読むのは勿体ないと思っていたが、辛抱堪らず一気読み。今回のお話は正直にいうと6年も待たされた割には……そんなに面白いというほどではなかったが、ヴォルコシガン・シリーズを読み続けるにはどうしても外せない一冊という感じではある。
ヴォルコシガン・シリーズはどれから読んでも問題なく楽しめるが、“ミラー衛星衝突”からというのはお奨めできないかな。面白味が若干薄いのは否めない。出来れば“戦士志願”から順に堪能していただきたい。
本当は戦士志願~メモリーまで読み直してからミラー衛星衝突を読もうと思っていたのだが、引っ越ししてから半年も経つのに段ボールを積んだまま放置しており面倒で探すのは途中で諦めた。
だけれども、ちょっとした収穫がった。デュマレスト・サーガ全31巻を発掘することが出来た。31巻中読んだのは1冊のみ。それもかなり昔で、何を読んだか記憶にないレベル。実質すべて未読といって差し支えない。
これの入手は、2006年に1巻~5巻まで復刊(これ以降の巻は現在にいたるまで復刊されていない)された時期に、オークションで入手したという経緯がある。入手したら安心して積読塚の材料にしてしまったのであった。
これでしばらく暇が潰せるな。でもこれ、本当は続きがあるんだよな……翻訳されることはたぶん……ワイルドカードも……
著者:ロイス・マクマスター・ビジョルド 訳者:小木曽絢子
戦士志願 初版:1991年1月30日
自由軌道 初版:1991年8月30日
親愛なるクローン 初版:1993年12月24日
無限の境界 初版:1994年7月15日
ヴォル・ゲーム 初版:1996年10月25日
名誉のかけら 初版:1997年10月24日
バラヤー内乱 初版:2000年12月22日
天空の遺産 初版:2001年9月28日
ミラー・ダンス 上/下 初版:2002年7月31日
遺伝子の使命 初版:2003年12月26日
メモリー 上/下 初版:2006年7月28日
ミラー衛星衝突 上/下 初版:2012年3月23日
“ミラー・ダンス”が新刊で発売された時期が2002年で、面白そうなのでこれを購入しようと思ったら、シリーズものだった。いったんは躊躇するものの、根拠のない確信があったので戦士志願~ミラー・ダンスまでの10冊をレジに持っていた。と、いうのが10年前のこと。
わたしは本を選ぶのに解説を必ず読む。ネタバレ注意とか一切無視して読む。ここで“根拠のない確信”があったら購入を決める。で、とりあえず本棚に放り込む。
10年前のことなので記憶がさだかではないが、戦士志願を読み始める。これがめちゃくちゃ面白い。金鉱を掘り当てた気分だったのは今でも鮮明に憶えている。一気に戦士志願~ミラー・ダンスまでを読み切ってしまった。それで“遺伝子の使命”が発売されるのを首を長くして待っていたことも懐かしい記憶である。“メモリー”が発売されるのも随分焦らされた記憶がある。
それで待てど暮らせどアナウンスがあったコマール(ミラー衛星衝突)が発売されることはなく、3年が経ち、半ば諦めてついには忘れていたのです。
先日、ふらりと本屋に立ち寄ったら、“ミラー衛星衝突 上/下”を発見! 即確保。待つこと6年。直ぐに読むのは勿体ないと思っていたが、辛抱堪らず一気読み。今回のお話は正直にいうと6年も待たされた割には……そんなに面白いというほどではなかったが、ヴォルコシガン・シリーズを読み続けるにはどうしても外せない一冊という感じではある。
ヴォルコシガン・シリーズはどれから読んでも問題なく楽しめるが、“ミラー衛星衝突”からというのはお奨めできないかな。面白味が若干薄いのは否めない。出来れば“戦士志願”から順に堪能していただきたい。
本当は戦士志願~メモリーまで読み直してからミラー衛星衝突を読もうと思っていたのだが、引っ越ししてから半年も経つのに段ボールを積んだまま放置しており面倒で探すのは途中で諦めた。
だけれども、ちょっとした収穫がった。デュマレスト・サーガ全31巻を発掘することが出来た。31巻中読んだのは1冊のみ。それもかなり昔で、何を読んだか記憶にないレベル。実質すべて未読といって差し支えない。
これの入手は、2006年に1巻~5巻まで復刊(これ以降の巻は現在にいたるまで復刊されていない)された時期に、オークションで入手したという経緯がある。入手したら安心して積読塚の材料にしてしまったのであった。
これでしばらく暇が潰せるな。でもこれ、本当は続きがあるんだよな……翻訳されることはたぶん……ワイルドカードも……
2012年3月20日火曜日
グーチョキパンチョ
チペワのエンジニアブーツを入手してからというものブーツに興味津々なわけであります。
仕事柄エンジニアブーツを履いていても問題ないので、キャタピラーのエンジニアブーツを履きだしました。チペワとの違いはロングなのにすごく軽く、ワイズがEということもあって甲の痛みは皆無なわけです。まったくストレスを感じないエンジニアブーツだったりします。
入手して直後にピュアホースオイルを薄く塗りこんで、防水スプレーを吹いたのですが、水が掛ると普通に染み込んでしまいます。ということで、革を縫う蝋引き(蜜蝋)とピュアホースオイルを湯銭して混ぜた靴クリームを自作しました。蜜蝋を多めにしてしまったため若干硬めですが、効果絶大でした。
前振りはこれぐらいにして、本題に入ります。普段履きでもう一足ブーツが欲しくて仕方なくなり、いろいろ物色していました。今回は編み上げタイプに絞って検索、検索。ホワイツやウエスコがカッコいいなあ。お値段がお高い……わたしには高嶺の花です。買えない値段ではないけれど、もう少し庶民価格でそれでいて造りがしっかりしていて、レッドウイングでもなくチペワでもないメーカーってないかしら。
探せばみつかるもので、シエテ・レグアスのサイレントウォーカーが目に留まりました。メキシコ製。自社持ちのタンナーで鞣した革で造られているということです。定価は3万円前後。amazonで2万円前後。オークションでも2万円前後でしょうか。amazonではセール時で1万円前後で入手できることもあったようです。サイズが24,5cm未満であれば一万円以下で入手可能(2/29現在。amazon)。
わたしはオークションで1万6千円(新品・送料込)で入手しました。オークションの検索は“siete leguas”です。“シエテ レグアス”で検索すると安い方は出てきません。とはいっても日本ではメジャーなメーカーではないようで、出品は少ないですね。
わたしが入手したのは、6アイレット3フックの“5210 サイレントウォーカー”です。ソールはビブラムのクレイプソール。ソールはミニビブラムよりクレイプソールの方が断然カッコいい気がします。
インプレッション的なもの。とはいえ比較対象はチペワのエンジニアブーツだけになりますので、適当に読み飛ばしてください。わたしの足は24cmで幅広甲高でスニーカーは26cmがジャストサイズです。 チペワは8,5Dでした。インソールはレッドウイングのレッドベッド。履きなれるまでは甲が痛かったです。現在は鈍い痛み程度。ワイズがEだったら問題なかったのかな? と、今にして思う。
シエテ・レグアスは8Eをチョイス。インソールは不要です。サイズはバッチリ。重さはチペワよりも軽い。革質はチペワとは違う。チペワはピュアホースオイルでしんなり柔らかになったが、シエテ・レグアスは革が厚くて乾いていて硬いです。ピュアホースオイルを入れてもほとんど変化がありません。もっとも甲の痛みが無いのでムキになって柔らかくする必要もないので、そんなにオイルは入れません。じっくり育ててゆこうかと思っています。
脱ぎ履きはチペワの方が圧倒的に楽です。20秒もあれば余裕です。シエテ・レグアスはもう少し時間が掛りますが困難というほどではありません。
靴の大きさはシエテ・レグアスの方が大きく、アイアンハートのブーツカットではヒールが隠れません。アイアンハートのフレアーカットが欲しいところ。
クレイプソールということもあって、履き心地は良いです。インソールが標準で入っておりサイズ的に遊びがなければインソールは追加する必要は無いような気がします。
もう少し補足やらあれこれをば。サイレントウォーカーはワークブーツのカテゴリーになります。トゥにスチールが入っているようです。知り合いのスカイラインの後輪タイヤに轢かれましたが、ヘッチャラでした。ワークブーツでは軽量のような気がします。とはいえスニーカーほど軽くはありません。
脱ぎ履きが若干面倒です。紐を解いて脱いだり履いたりすること前提です。が、面倒臭がりなわたしは少々工夫しました。まず、付属の靴紐だと若干短いので、靴紐を変更しました。靴紐はパラコードに変更。以前にロールで入手したので紐には困らんのです。1mで約33円とういのもコストパフォーマンスに優れているし、強度面でも靴紐には十二分なのであります。
それと、パラコードはなんというかサラサラしていて結びが緩みやすいのですが、結び目になるあたりを蝋引きするとカチっと結べます。
それで、靴紐(パラコード)をやや緩めに結びます(靴の中で足が遊ばない程度)。こうすると脱ぐのはだいぶ楽です(約10秒)。ですが、履くのはやはり靴ベラが必要な感じです。ただし靴ベラを使うと履きやすいようでいて実際は履きずらいんですな。靴ベラが抜けなくなるんです。かといってもっと紐を緩めにすると今度は靴の中で足が遊ぶのです。そういった時にフィンガープルループがあるのです。ですが、わたしの指は太すぎてフィンガープルループが利用できないんですよ。
ということで、フィンガープルループを使用するための自分専用の道具を自作しました。あ、わたし仕様の道具なので完全に余談になるな。ま、いいか。
素材はステンレスです。円になっているステンレスの部分は近くのホームセンターで入手。フィンガープルループを掛ける鉤状にステンレスの丸棒を曲げただけ。持ち運びに困らない程度には小さくしたつもり。自作した道具を使用すると約40秒で履くことが出来ました。靴ベラを使用するより幾分かマシになった。履きこむともうちょっと早く履けるような感じ。コツとしてはフィンガープルループを引っ張りつつ、足を尺取虫のようにもぞもぞさせると履きやすい。ま、横着しないで靴紐を解けばよいだけの話なのですが、ね。
自作して使い勝手もそこそこなので満足していたが、ふと気付いたんですよ。S字のフックで事足りたんじゃないかってね。この手のS字フックを大量に使用していたのに……灯台下暗しとはまさにこういうことなんじゃないのかな。
入手前にシエテ・レグアスについて調べると、“パンチョ”の愛馬に由来するとありました。1955年創業。で“メキシコの英雄パンチョ”について調べると、豪傑な人物だったようでありますな。アメリカさんとも揉めたようですし。最期は凶弾によりお亡くなりになられた。
Wikiの抜粋では“ビリャはメキシコの大衆から英雄として扱われたが、メキシコ革命正史上では無視され続けた。彼が議会で正式に革命の功労者とされたのは死後43年経った1967年のことであった”とあります。
シエテ・レグアスの創業が1955年ですから、メキシコ革命正史上では無視されていたが、メキシコの大衆から英雄として扱われていたというのは本当のようですね。ひょっとしたらメキシコではシエテ・レグアスのブーツをパンチョブーツと呼んでいたりして。
そんなこんなでパンチョブーツとチペワを交互に履いているわけですが、先日、パンチョブーツを履いて本屋に行きました。“都市と都市”を買いにいったのです。しかしお目当ての本は無く、なにか面白そうな小説がないかしらと物色していると、“パンチョ”という文字が目の隅に入ったわけです。“パンチョ・ビリャの罠”。パンチョブーツを履いて“パンチョ・ビリャの罠”を偶然に発見したわけです。出会いは突然訪れるものです。そうそうあることではありません。ビリャの愛馬(シエテレグアス)が出会わせてくれたに違いありません。
そういうわけで、“パンチョ・ビリャの罠”を読みました。パンチョさんは物語の冒頭から登場しますです。はい。メキシコの酒場のテーブルに、首チョンパされたパンチョさんがドンと置かれるのであります。ミイラで、ヒゲつきで。割とカラっとしております。ホラーテイストありません。ここから物語がスピーディーに動き始めます。人がどんどん死にます。割とあっさり死にます。スプラッターテイストありません。ミイラの首がどんどん増えます。一つから三つに。二つ減って、四つ追加して五つになりました。みたいな。簡単にいうと、パンチョの首をめぐる争奪戦です。パンチョさんを知るには程よいエンタメではあったかな。
装丁とタイトルは正直にいうと、あまり心惹かれる感じはないかな。シエテ・レグアス経由でパンチョ・ビリャを調べていなかっら間違いなくスルーしていたと思う。
ブーツネタはもういいかな。欲しいブーツはあるのですが、当面は三足で事足りるのでね。そうするとブログを更新するネタはしばらく無いかな。ま、面白い小説でも見つかればいいのだけれど。
2012年3月17日土曜日
食い合わせは確かにある
安部公房を知らぬ人はほとんど居らぬであろう。わたしも知っているくらいだから。ただ、読んだ記憶は無い。なんとなく敬遠していた。本屋で面白そうな本を物色していて“箱男”を見付けた。安部公房か……文学? まあ、何でも良い。完全にタイトル買い。
正直な感想は、ワケワカメである。ただ、読むのに苦労はない。一気に読まされる力があることは確か。どこかでワケワカメが解消されるのだろうと、次の章で、次のページでワケガワカルはずと思っていたが……ワケワカメだった。
こういうのがブンガクなのだろうか……やっぱりわたしには向いていないな。部分部分は面白いと思うのだが、全部ひっくるめると何がどうなっているのかサッパリ分からん。わたしが阿呆すぎるんだろうな、うん。
箱男の中の人の感覚はなんとなく把握できるかな。わたしのこのブログだってある側面では箱男的ではある。匿名で適当なことを書いているんだから、ね。
現代に通じる箱男といえばニートの人かな。存在するけど存在しないみたいな、ね。ニートといったって千差万別だろうけど。
生温い環境で成立するニートの人は少なからずいるよね。わたしだって環境が許せばニートになりかねないと思うもん。もし、宝くじで3億とか当たったら絶対に間違いなくニートになると思う。宝くじなんて買わないけど。だって限りなくゼロに近い確率なんてあてに出来ないし。
箱男というかニートというかそういう要素はわたしにはもの凄くあるな。ただ環境が許さないだけ。精神的にはニートかも知れないな。
今も昔も夢とか希望とか野望とか本当に無いし、この先生きのこる理由も望みもなんにもないんだな。惰性で生活しているだけだし。何もかも遅すぎるんだよな。気付くのが。そのうちにどうにもこうにもならなくなって進退窮まって困り果てるんだろうな。そして周りに迷惑を掛けてしまうんだろうな。嫌だ嫌だ。最悪だな。
そうならない為になんとかしなくてはと思うのだが、どこから手を付ければよいものやら……
明日から気持ちを入れ替えて頑張るとするか。そろそろ寝るか……
そろそろ寝るかと寝床にもぐり込んだが眠りつけない。“箱男”と一緒に入手した著者:沼田まほかる“猫鳴り”でも読むことにするか。
こちらも一気読み。こちらは猫を触媒にした何かを突き付けてくる3章だての物語。
ニュートラルな気分で読んでいたならば、もっとなにか刺さる物語だったのだろうが、“箱男”を読んだ直後に続けて読んだものだから刺さるところで刺さらず、妙なところが気になる始末。救いようのないどうしようもない駄目な登場人物というのがまったく居らんのですよ。一見殺伐としていているが、救いがある物語なんですな。なんという疎外感。わたしにはない救いがある感じ。なんなのコレ。ふざけんじゃねえよ。最悪だ。
やはりブンガク的なのは全く性に合わないや。ブンガクってのはなにか人の心を腐らせるのが目的なのか? 糞以下だな。何がって決まってるじゃないか、わたしが糞以下なのは。
睡眠時間を削って、30分寝坊して、慌てて着替えて、顔を洗って鏡をみると糞みたいな自分が見返しているもんだから鏡をぶち割りたくなった。最悪や。最悪。……寝坊しました。
正直な感想は、ワケワカメである。ただ、読むのに苦労はない。一気に読まされる力があることは確か。どこかでワケワカメが解消されるのだろうと、次の章で、次のページでワケガワカルはずと思っていたが……ワケワカメだった。
こういうのがブンガクなのだろうか……やっぱりわたしには向いていないな。部分部分は面白いと思うのだが、全部ひっくるめると何がどうなっているのかサッパリ分からん。わたしが阿呆すぎるんだろうな、うん。
箱男の中の人の感覚はなんとなく把握できるかな。わたしのこのブログだってある側面では箱男的ではある。匿名で適当なことを書いているんだから、ね。
現代に通じる箱男といえばニートの人かな。存在するけど存在しないみたいな、ね。ニートといったって千差万別だろうけど。
生温い環境で成立するニートの人は少なからずいるよね。わたしだって環境が許せばニートになりかねないと思うもん。もし、宝くじで3億とか当たったら絶対に間違いなくニートになると思う。宝くじなんて買わないけど。だって限りなくゼロに近い確率なんてあてに出来ないし。
箱男というかニートというかそういう要素はわたしにはもの凄くあるな。ただ環境が許さないだけ。精神的にはニートかも知れないな。
今も昔も夢とか希望とか野望とか本当に無いし、この先生きのこる理由も望みもなんにもないんだな。惰性で生活しているだけだし。何もかも遅すぎるんだよな。気付くのが。そのうちにどうにもこうにもならなくなって進退窮まって困り果てるんだろうな。そして周りに迷惑を掛けてしまうんだろうな。嫌だ嫌だ。最悪だな。
そうならない為になんとかしなくてはと思うのだが、どこから手を付ければよいものやら……
明日から気持ちを入れ替えて頑張るとするか。そろそろ寝るか……
そろそろ寝るかと寝床にもぐり込んだが眠りつけない。“箱男”と一緒に入手した著者:沼田まほかる“猫鳴り”でも読むことにするか。
こちらも一気読み。こちらは猫を触媒にした何かを突き付けてくる3章だての物語。
ニュートラルな気分で読んでいたならば、もっとなにか刺さる物語だったのだろうが、“箱男”を読んだ直後に続けて読んだものだから刺さるところで刺さらず、妙なところが気になる始末。救いようのないどうしようもない駄目な登場人物というのがまったく居らんのですよ。一見殺伐としていているが、救いがある物語なんですな。なんという疎外感。わたしにはない救いがある感じ。なんなのコレ。ふざけんじゃねえよ。最悪だ。
やはりブンガク的なのは全く性に合わないや。ブンガクってのはなにか人の心を腐らせるのが目的なのか? 糞以下だな。何がって決まってるじゃないか、わたしが糞以下なのは。
睡眠時間を削って、30分寝坊して、慌てて着替えて、顔を洗って鏡をみると糞みたいな自分が見返しているもんだから鏡をぶち割りたくなった。最悪や。最悪。……寝坊しました。
2012年1月22日日曜日
卵にペーソス?
去年の年末にお客様から卵を20個頂いた。大変ありがたかったが、一人暮らしに卵20個は持て余す。
そこで、10個だけ頂くことを申し出ると、「せっかく持ってきたのだから食べてくれ」という返答。それはそうだなと思い、どう料理すればいいのか伺うと、あっさり「ゆで卵」という返答。なにやらちょっと古い卵のほうがゆで卵に向いているということらしい。なるほど。
せっかく頂いた卵なので、早速ゆで卵を作ることにした。10分茹でて、冷水に入れるだけということもお客様から伺っていたのでね。考えたらゆで卵を作ったことがないことに気付いた。
久しぶりだな、ゆで卵。茹でたてを食べてみた。うまい! といことで毎日4個のゆで卵を食すというのが日課になった。さすがに食べ過ぎのような気がしたので、今は週10個にしている。
さて、わたしのゆで卵事情は置いておくとして、本屋に良い暇つぶしがないか物色しにいきました。入手したのは下記の2点。
・卵をめぐる祖父の戦争 著者:デイヴィッド・ベニオフ 訳者:田口 俊樹
・ねじまき少女 著者:パオロ・バチガルピ 訳者:田中 一江・金子 浩
『卵をめぐる祖父の戦争』は面白かった。手に取った理由は、上述の理由により、という実にくだらないものという要因もあるが、説明的なタイトルにほのかな面白味を感じたので。
内容は、卵をめぐる祖父の戦争です。これ以上に的確な説明はないです。本当に。蛇足として付け足すなら、卵は手段で、目的ではありません。以上。
訳者あとがきで、“本書の読みどころは言うまでもない。笑いとペーソスだ(抜粋)”と書かれている。まさにそのとおり。笑いとペーソスなのである。笑いとペーソス? なのである。ペーソスって何? なにはともあれ、笑いとペーソスなのである。読めばわかる。ペーソスがぺヤングソースの略ではないことは読めばわかる。待て待て、検索するな。本書を読めば、笑いとペーソスを実感できるから。
タイトルにも笑いとペーソスがあると思うよ? 光と闇。善と悪。空腹と満腹。創造と破壊。卵と雄鶏。平和と戦争。笑いとペーソス。つまり二元論のような対義語的なものか? ああ、わかった。つまり島田紳助だな。笑いとペーソス。
“本書の読みどころは言うまでもない。島田紳助だ”わけわかめ。
冗談はさて置き、戦時下における極限状況における笑いはペーソスを誘うのであり、ペーソスだからこそ笑いを誘うということでいいだろうね? 待て待て、検索するなよ。とにかく、『卵をめぐる祖父の戦争』の笑いとペーソスは一級品だから、笑いとペーソス成分が足りていない方にはおすすめです。
そこで、10個だけ頂くことを申し出ると、「せっかく持ってきたのだから食べてくれ」という返答。それはそうだなと思い、どう料理すればいいのか伺うと、あっさり「ゆで卵」という返答。なにやらちょっと古い卵のほうがゆで卵に向いているということらしい。なるほど。
せっかく頂いた卵なので、早速ゆで卵を作ることにした。10分茹でて、冷水に入れるだけということもお客様から伺っていたのでね。考えたらゆで卵を作ったことがないことに気付いた。
久しぶりだな、ゆで卵。茹でたてを食べてみた。うまい! といことで毎日4個のゆで卵を食すというのが日課になった。さすがに食べ過ぎのような気がしたので、今は週10個にしている。
さて、わたしのゆで卵事情は置いておくとして、本屋に良い暇つぶしがないか物色しにいきました。入手したのは下記の2点。
・卵をめぐる祖父の戦争 著者:デイヴィッド・ベニオフ 訳者:田口 俊樹
・ねじまき少女 著者:パオロ・バチガルピ 訳者:田中 一江・金子 浩
『卵をめぐる祖父の戦争』は面白かった。手に取った理由は、上述の理由により、という実にくだらないものという要因もあるが、説明的なタイトルにほのかな面白味を感じたので。
内容は、卵をめぐる祖父の戦争です。これ以上に的確な説明はないです。本当に。蛇足として付け足すなら、卵は手段で、目的ではありません。以上。
訳者あとがきで、“本書の読みどころは言うまでもない。笑いとペーソスだ(抜粋)”と書かれている。まさにそのとおり。笑いとペーソスなのである。笑いとペーソス? なのである。ペーソスって何? なにはともあれ、笑いとペーソスなのである。読めばわかる。ペーソスがぺヤングソースの略ではないことは読めばわかる。待て待て、検索するな。本書を読めば、笑いとペーソスを実感できるから。
タイトルにも笑いとペーソスがあると思うよ? 光と闇。善と悪。空腹と満腹。創造と破壊。卵と雄鶏。平和と戦争。笑いとペーソス。つまり二元論のような対義語的なものか? ああ、わかった。つまり島田紳助だな。笑いとペーソス。
“本書の読みどころは言うまでもない。島田紳助だ”わけわかめ。
冗談はさて置き、戦時下における極限状況における笑いはペーソスを誘うのであり、ペーソスだからこそ笑いを誘うということでいいだろうね? 待て待て、検索するなよ。とにかく、『卵をめぐる祖父の戦争』の笑いとペーソスは一級品だから、笑いとペーソス成分が足りていない方にはおすすめです。
2012年1月19日木曜日
ポージングと会話で錬金
銀河ヒッチハイクガイドという小説が好きだったりするわけなのですが、映画も好きだったりします。マーヴィンの鬱ぶりも好きで、マーヴィンのフィギュアが欲しいなあ。と、検索したりしていたのです。だけれども、映画公開から数年経っているので入手は難しそう。
画像検索で我慢するか。と、検索していたら、白い女性型ロボが検索に引っかかりました。こういうのに興味はなかったけれど、ちょっとだけそのページを覗いてみると……ニコニコ動画が貼り付けてありました。ファイアボール全13話。
ファイアボール? 聞いたこともない。とりあえず再生……白い女性型ロボのCGアニメ。一話目で引き込まれました。だって、一話目が銀河ヒッチハイクネタなんですもん。アニメは観ないという意思を曲げざるを得ない。観たら……これは傑作だと思いましたね。ディズニーの作品だけれども日本製。
やはり、日本のアニメは面白いんだな。
ちょっとだけ分析めいたものを書いてみる。
・一話が2分未満。
・CGだけれども、動きが少ない。
・会話とキャラクターのポージングが肝である。
これだけで面白いアニメを作ることができることに感心した。あえて制約を設けている感じ。例えるなら4コマ漫画。無機質で表情のないロボットに命を吹き込む錬金術だね。これをポージングと会話だけで成し遂げることに素直に驚いた。
これ、4年前の作品なんだね。まったく全然これっぽちも1mmも知らなかった自分にも驚いた。
画像検索で我慢するか。と、検索していたら、白い女性型ロボが検索に引っかかりました。こういうのに興味はなかったけれど、ちょっとだけそのページを覗いてみると……ニコニコ動画が貼り付けてありました。ファイアボール全13話。
ファイアボール? 聞いたこともない。とりあえず再生……白い女性型ロボのCGアニメ。一話目で引き込まれました。だって、一話目が銀河ヒッチハイクネタなんですもん。アニメは観ないという意思を曲げざるを得ない。観たら……これは傑作だと思いましたね。ディズニーの作品だけれども日本製。
やはり、日本のアニメは面白いんだな。
ちょっとだけ分析めいたものを書いてみる。
・一話が2分未満。
・CGだけれども、動きが少ない。
・会話とキャラクターのポージングが肝である。
これだけで面白いアニメを作ることができることに感心した。あえて制約を設けている感じ。例えるなら4コマ漫画。無機質で表情のないロボットに命を吹き込む錬金術だね。これをポージングと会話だけで成し遂げることに素直に驚いた。
これ、4年前の作品なんだね。まったく全然これっぽちも1mmも知らなかった自分にも驚いた。
2012年1月7日土曜日
漫画好きが『解錠師』を読んだら萌え画になるのだろうか……
去年は一冊も本を読まなかった。まあ、去年はいろいろあったから……
精神的余裕もなかったし、独り暮らしを始めて、いまだに本は段ボール箱に詰まって重ねて置いてある状態だしね。
正月休みは本当に暇だった。テレビは観ないと決めたので購入していないし、ゲームもやらないし、アウトドア的な趣味もないし、パチンコとかはかなり昔に止めたし、つまり寝ているぐらいしか暇潰しがない。
そんなこんなで、久しぶりに本を読んでみるかと思い立ったわけ。段ボール箱を引っ掻きまわせば未読の本がいくらでもあるのだが、面倒くさい。そこで久しぶり本屋に足を運ぶことにした。
購入したのは、以下の4冊。
・解錠師〔ハヤカワ・ミステリ1854〕(HPB)著者:スティーヴ・ハミルトン 訳者:越前敏弥
・霧が晴れた時(角川ホラー文庫―自選恐怖小説集) 著者:小松左京
・幻夢の時計(タイタス・クロウサーガ) (創元推理文庫) 著者:ブライアン・ラムレイ 訳者:夏来健次
・天獄と地国(ハヤカワ文庫JA)著者:小林泰三
どれも良い暇潰しになった。ジャンル的に好きなのは、SF。あんまり読まないけどたまに読むのはミステリーかな。純文学とかは読まない。
それで、今回読んだ中でも面白かったのは解錠師だった。ということで、感想みたいなモノを書いてみる。感想になってないんだけどね。
解錠師のカタルシスっていうのは言うまでもなく鍵を使わないで解錠することにある。一般人ではなかなか味わえる感覚ではない。これに似た一般人でも味わえるカタルシスを考えてみた。知恵の輪かな。それも難易度が高ければ高いほど得られるカタルシスが大きいというのも似ていると思われる。
主人公は背徳の技術を修得する。まずは独学で。それからやむにやまれぬ事情により金庫を解錠する訓練を積む。で、プロの解錠師になるわけ。
それと、主人公は絵を描くのが好きでセンスがあるわけ。主人公はある人とのコミュニケーションに絵を使うことにした。ただの絵ではなく、漫画にすることにした。これもやむにやまれぬ事実があってのこと。彼は幼少にある事件に巻き込まれて、しゃべることが出来なくなってしまったんです。
ちょっと脱線。わたしは漫画を久しく読んでいない。アニメとかも全く観ない。理由は、小説に比べて想像力が規制されるから。二十歳前後で意識的に断ち切ったもの。漫画的なものやアニメ的なものが嫌いというわけでは無い。現在も意識的に排除している。ごくまれに強烈な欲求に見舞われるが、昔観たり読んだりしたのを記憶から引っ張りだして何とかしのいでいる。つまりやせ我慢している状態。こういう状態を十年以上続けている。良いのか悪いのか分からないが、一度決めてしまって十年以上経つと、この状態を維持することの無意味さも分かるが、ここまでくると意地でも読んだり観たりするつもりがない。
弊害がないわけではない。たまに困ることもある。例えばこういう一文をツイッターで目にしたとき。“ガンダムの最終回のアムロみたいな気分です(抜粋)”前後の文面でおおよその推測はできるのですが、正確なニュアンスはわたしには伝わってこない。というかアムロって死んだんじゃなかったの? というトンチンカンぶり。まあ、実生活での真の意味での弊害は無い。
話を戻すと、物語は主人公の刑務所での回想から始まる。回想には二つの時間軸があり、徐々に徐々にこの時間軸が近づいて、最後には主人公が回想を始めた刑務所に戻る。
主人公は美術的なセンス(漫画も)と、解錠師の技を併せ持つことになる。そして過去の忌まわしい事件によりしゃべることができない。それとバイクを駆る快感を知っている。おまけにちょいイケメン。ひょんなことから少女に出会う。それから少女を救うためにゴーストという人物に背徳の解錠師の訓練を受けることになる。漫画は少女とのコミニケーションとして活用される。プロの解錠師になって少女を救うことができるが、主人公は犯罪の泥沼にはまり込んでしまい……というのが大筋。
わたしは感想を書くのは苦手なので、これじゃまったく伝わらないな。夕方から読み始めて、午前4時45分まで……最後のページまで、暖房無しで台所の換気扇を回しながら、煙草とコーヒーを飲みながら読み切った。面白かった。
この物語では、漫画というコミニケーションは結構重要な要素だったりする。だから、わたしとは逆に、漫画は読むけど小説は読まないという人にも読んでもらいたいなあと思ったりした。人によって漫画の描写の部分は大きく異なるイメージになるんだろうな、などと想像するとこれまた面白い。漫画家が描いてみたものもみてみたい気もする。いや、絶対に観たり読んだりしないんだけれども。
漫画は日本の文化だという意見もある。わたしもそう思うこともある。だけれども漫画にしろアニメにしろ蔓延し過ぎのような気がしないでもない。一人ぐらい右へ倣えしない偏屈が居たっていいだろう? だけれども漫画を否定はしない。漫画を我慢しているだけ。絶対に読まん。WEBの4コマ漫画とかぐらいはたまに読むけどな。ごめん嘘ついた。でも基本姿勢は変えたくないと思っている。
精神的余裕もなかったし、独り暮らしを始めて、いまだに本は段ボール箱に詰まって重ねて置いてある状態だしね。
正月休みは本当に暇だった。テレビは観ないと決めたので購入していないし、ゲームもやらないし、アウトドア的な趣味もないし、パチンコとかはかなり昔に止めたし、つまり寝ているぐらいしか暇潰しがない。
そんなこんなで、久しぶりに本を読んでみるかと思い立ったわけ。段ボール箱を引っ掻きまわせば未読の本がいくらでもあるのだが、面倒くさい。そこで久しぶり本屋に足を運ぶことにした。
購入したのは、以下の4冊。
・解錠師〔ハヤカワ・ミステリ1854〕(HPB)著者:スティーヴ・ハミルトン 訳者:越前敏弥
・霧が晴れた時(角川ホラー文庫―自選恐怖小説集) 著者:小松左京
・幻夢の時計(タイタス・クロウサーガ) (創元推理文庫) 著者:ブライアン・ラムレイ 訳者:夏来健次
・天獄と地国(ハヤカワ文庫JA)著者:小林泰三
どれも良い暇潰しになった。ジャンル的に好きなのは、SF。あんまり読まないけどたまに読むのはミステリーかな。純文学とかは読まない。
それで、今回読んだ中でも面白かったのは解錠師だった。ということで、感想みたいなモノを書いてみる。感想になってないんだけどね。
解錠師のカタルシスっていうのは言うまでもなく鍵を使わないで解錠することにある。一般人ではなかなか味わえる感覚ではない。これに似た一般人でも味わえるカタルシスを考えてみた。知恵の輪かな。それも難易度が高ければ高いほど得られるカタルシスが大きいというのも似ていると思われる。
主人公は背徳の技術を修得する。まずは独学で。それからやむにやまれぬ事情により金庫を解錠する訓練を積む。で、プロの解錠師になるわけ。
それと、主人公は絵を描くのが好きでセンスがあるわけ。主人公はある人とのコミュニケーションに絵を使うことにした。ただの絵ではなく、漫画にすることにした。これもやむにやまれぬ事実があってのこと。彼は幼少にある事件に巻き込まれて、しゃべることが出来なくなってしまったんです。
ちょっと脱線。わたしは漫画を久しく読んでいない。アニメとかも全く観ない。理由は、小説に比べて想像力が規制されるから。二十歳前後で意識的に断ち切ったもの。漫画的なものやアニメ的なものが嫌いというわけでは無い。現在も意識的に排除している。ごくまれに強烈な欲求に見舞われるが、昔観たり読んだりしたのを記憶から引っ張りだして何とかしのいでいる。つまりやせ我慢している状態。こういう状態を十年以上続けている。良いのか悪いのか分からないが、一度決めてしまって十年以上経つと、この状態を維持することの無意味さも分かるが、ここまでくると意地でも読んだり観たりするつもりがない。
弊害がないわけではない。たまに困ることもある。例えばこういう一文をツイッターで目にしたとき。“ガンダムの最終回のアムロみたいな気分です(抜粋)”前後の文面でおおよその推測はできるのですが、正確なニュアンスはわたしには伝わってこない。というかアムロって死んだんじゃなかったの? というトンチンカンぶり。まあ、実生活での真の意味での弊害は無い。
話を戻すと、物語は主人公の刑務所での回想から始まる。回想には二つの時間軸があり、徐々に徐々にこの時間軸が近づいて、最後には主人公が回想を始めた刑務所に戻る。
主人公は美術的なセンス(漫画も)と、解錠師の技を併せ持つことになる。そして過去の忌まわしい事件によりしゃべることができない。それとバイクを駆る快感を知っている。おまけにちょいイケメン。ひょんなことから少女に出会う。それから少女を救うためにゴーストという人物に背徳の解錠師の訓練を受けることになる。漫画は少女とのコミニケーションとして活用される。プロの解錠師になって少女を救うことができるが、主人公は犯罪の泥沼にはまり込んでしまい……というのが大筋。
わたしは感想を書くのは苦手なので、これじゃまったく伝わらないな。夕方から読み始めて、午前4時45分まで……最後のページまで、暖房無しで台所の換気扇を回しながら、煙草とコーヒーを飲みながら読み切った。面白かった。
この物語では、漫画というコミニケーションは結構重要な要素だったりする。だから、わたしとは逆に、漫画は読むけど小説は読まないという人にも読んでもらいたいなあと思ったりした。人によって漫画の描写の部分は大きく異なるイメージになるんだろうな、などと想像するとこれまた面白い。漫画家が描いてみたものもみてみたい気もする。いや、絶対に観たり読んだりしないんだけれども。
漫画は日本の文化だという意見もある。わたしもそう思うこともある。だけれども漫画にしろアニメにしろ蔓延し過ぎのような気がしないでもない。一人ぐらい右へ倣えしない偏屈が居たっていいだろう? だけれども漫画を否定はしない。漫画を我慢しているだけ。絶対に読まん。WEBの4コマ漫画とかぐらいはたまに読むけどな。ごめん嘘ついた。でも基本姿勢は変えたくないと思っている。
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