2021年3月11日木曜日

眠れぬ夜にキーボードを叩いてみたら

 私はSFというジャンル小説が好きだった。いや、今もって好きであることにかわりないのだが、若い時分のそれとは違うのである。
 特に好奇心の旺盛さは比べようもない。加えて、多感な時期に喘息持ちだったため、スポーツで溌剌とした汗を流すということができなかったため、退屈だった。本を読むという選択をしたんだ。それが漫画でも良かったのだが、少ない小遣いではとても賄いきれないことがあきらかだったためというのもある。
 とは言え、阿呆だったので、ゆわゆる高尚な文学に手を出すことはなく、退屈な本を読むならせめてひとときの楽しみが期待できそうなSFが私の肌に合った。
 その当時はさまざまな奇想やアイデアをSFから吸収して、“面白い夢”をみるという非常に内向的な目的がありました。これはまったく上手くいかなかったな。
 幸いなことに喘息から縁が切れ、好奇心もすれて徐々にSFを読まなくなってしまいました。であるが、私は定期的にSFという弱毒成分を補給せずにはいられないんですな。

 SFというのは面白いもので、奇想やアイデアを共有して好き放題できるのです。ですから優れたそれは手を変え品を変え発展していきます。言い換えれば夢が夢を育てていく不思議さです。
 ですが、残念なことに、ここ日本では専業のSF作家は非常に少ないです。理由はいくつも浮かびますが、商業的には漫画家には敵わないといのが日本の現状のようです。
 これは言語の違いが壁になっているというのもあります。“奇想やアイデアを共有して好き放題する”サイクルの速度が違いすぎ、かつ共有する人員の差(作家と読者)がありすぎて、とても太刀打ちできるものではありません。50年前のSF作品が翻訳されるということがあるという一例もありますし、残念なことではあります。一方で言語の壁は、有象無象のフィルターとしての機能をはたしている側面もあります。
 本音を言えば、有象無象のフィルターなぞ必要なく、有象無象こそSFなんじゃないのかとも思います。未発展の奇想・アイデアこそSFのダイナミズムだよな。それを触れる機会が制限されてると思うと少し歯がゆいかな。

 ということで? 眠れぬ夜に適当なことを打ち込んでみた。センスオブワンダーを夢にみたい。KOKEでした。それでは!

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