先日読んだ作品である。創元の17版。
読み終わった直後の感想は、なんだかぼんやりしているなあ。という感じ。なにがぼんやりしているかというと、わたしの理解力がである。素直に、率直な感想は、どのへんが傑作なの? である。
この本を入手したのは随分前だ。入手した理由は、わたしが好きな作家ジョー・ゴアズが『ハメット』を書いているので入手だけはしておいたというもの。ちなみにジョー・ゴアズの『ハメット』は読んでもいないし未入手だったりする。
ダーシル・ハメットの名を知らないというわけではない。非常に有名で偉大な作家であるという“知識”はあった。そういうわけで、ジョー・ゴアズが推すハメット。『ガラスの鍵』が面白いであろうことは間違いない事実なのである。
それでも長年読もうとしなかったのは、正確を記すなら、何度か数ページ読んでやめたのは面白くなさそうな予感がしたからだ。必ず解説を先に読むのだが、もうこの時点であまり面白くないと判断していた、と思う。今回読み切ったが、やはり解説を先に読んでも面白そうには思えなかった。
今回は何故読み切ったかというと、手元に未読の本が『ガラスの鍵』とその他数冊の小説しかなく(段ボールには未読の小説が腐るほどある)、なおかつ当日は雨が降っていて仕事を休んで(さぼった)家を出たくなかったので薄めの『ガラスの鍵』を読んで暇を潰そうと思ったというじつにくだらない理由なのである。
その数日前にジョー・ゴアズの『路上の事件』を読み終わっていたといのもほんの少しあるかな。で、最初に書いたような感想になる。
読み終わったので気兼ねなくWEBで感想を読み漁るかな。それでわたしの鈍い頭で足りない成分を補うつもりだった。少し読んで、やっぱりよく考えて、自分なりに面白いと感じるようにしたいなと思った。
自分なりの感想というか面白いと思える前向きなものを書いてみます。というか思ったことなどいろいろ書いてみてようかな。
まずは『ガラスの鍵』を読むまえの前フリ的なこと。前提としてわたしは阿呆である。これは大事なこと。読書は好きだが読書量は多いほうではない。感想は苦手。ミステリーというジャンルはそれほど好みではない。古典とか名作とされるものはほぼ読んだ記憶がない。
リチャード・スタークが大好きである。リチャード・スタークを経由してジョー・ゴアズを知った。ゴアズの作品は4,5冊読んだ。わたし的にスタークが100スキーならゴアズは75スキーだ。ゴアズ経由でハメットを入手、ハメットは今回の『ガラスの鍵』が初読みである。ちなみに今回読んだ『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。
客観視すると、エンターテインメントしているかしていないかというのがわたしの面白がる基準だと思う。これはとても曖昧な基準だけれどもそういうことになる。
そろそろ本題の『ガラスの鍵』について。念頭においていたのはこの作品がハードボイルドであるということ。ミステリー的には重きをおいていないことである。これは解説にそのように書かれていた。つまりハードボイルドであるということをもっとも気にして読んだということ。
ハードボイルドというと必ず思い出すのは、『ハードボイルドって本当は何なの?』http://www.nsknet.or.jp/~jkimura/jp-tgs/hardboiled-j.html という翻訳家/作家:木村二郎氏のガムシュー・サイトである。これは随分前に読んでハードボイルドについて認識を改めた記憶がある。
もう一度、正確に書くと、『ガラスの鍵』を読むにあたって気にしていたのは“ハードボイルド文体”である。だいたにおいてこのようなことを気にして読んだらまず面白いとはならない。まあしかし、読み方としては間違いではないであろうと思われる。
次に読んでいて一番気になったのは主人公の立ち位置というか軸足というかそういうところ。ハードボイルド文体で書かれているためそのあたりがハッキリしない。というかこれは当然のことになる。読み手が主人公の行動や発言から推測しなくてはならない。
つまるところハードボイルド文体という手法がわたしにはまったく合わないのだろう。まったくというのは言い過ぎかな。ハードボイルド文体に徹しすぎたものには馴染みがないので戸惑ったというべきなのか。とりあえず初日の感想的なものはここまで。
数日後
読み返しなし。主人公はある殺人現場(事後)に出くわして、これを追うというのが話の大筋。犯人を追う当初は自分の利害が大きい。自分の利を回収してもこれを追うことになる。これはめぐりめぐって自分の立ち位置的に利があるから。ただし途中からこの利がほぼなくなっても犯人を追うことになる。こうなると主人公の行動原理が読みづらくなる。
ただしこれまでの主人公の行動、発言から以下のことが読み取れる。彼の発言は嘘偽りが少なそうである。他人の発言を注意深く聞きそれを次の行動の軸にする。というか例えが違う気がするが、わらしべ長者的に他人の発言を利用して真相に迫る。暴力に対して暴力の応酬は少ない。暴力による解決を望んでいないようである。女性に対してドライな感じ。割と人当りがいいようだ。曲がったことがあまり好きではなさそうだ。利用できそうなものは極力利用する(ただし銃の利用はほぼない)。このぐらいかな。
ここまで書いても彼の行動理由がわからない部分もいくつかある。この推測不可なところがもやもやして面白味を感じづらいのかもしれない。それとミステリーに重きをおいていないというところも話に引き込まれづらいということもあるような気がする。
いったんここまでで感想的なもの第2弾終了。この続きは改めて書く。
数日後(感想的なもの第3弾)
読み返してみた。話の筋もわかっているので集中して主人公の心理を推測しながらじっくり読んでみた。
まずは、話の大筋を整理する。組織の身内が容疑者として身柄が拘束されている事件。これと組織のボスが後押しすることになった上院議員の息子が殺害された事件。この二つの事件を追うのがこの話の骨格になる。
主人公の立ち位置は、組織のボスの親友でありアドバイザー。いわゆる正業にはついておらず、本人いわく“賭博師であり政治家のヒモ”である。
組織というとマフィアなどの犯罪組織をイメージするが若干違い、その地域を実質的に支配する権力者組織ではあるが真っ黒な犯罪組織ではなくややグレーな組織。ボスの正業は土建業者の社長である。
主人公の人となりは、組織のボスの右腕であるように、組織の支配する地域のあらゆることに精通する切れ者。
性格はどちらかというと温厚。やや無鉄砲なところあり。暴力による問題解決を好まない。これに付随して銃は基本使わない。ただし必要な場合は最小限の使用はする。
人当りがよく顔が広く、会話が上手くかけひきは得意。女性にも人気があるのは性格にもよるが、おそらく容姿も整っている様子である。服装にもこだわりがあるというのも会話からうかがえる。住んでいる家も豪邸とはいわないがかなりよいし、金に困っている様子はない。
ちなみに明確ではないがニューヨークから流れてきて1年ちょいで現在の地位にいるようであるし、政治の舞台裏にうんざりしているような発言や犯人捜しでのニューヨークでの出来事からも主人公のひととなりがうかがえる。
初読ではハードボイルド文体にてこずって主人公の立ち位置というか軸足(行動理由)がわかり辛いと書いているが、読み直ししてみると、全然そういう感じではなかった。
おそらく主人公の立ち位置による軸足だけにとらわれて主人公の心理というか倫理感を読み切れていなかったため、途中から主人公の行動原理が読みづらくなると初読では感じたのだろう。
読み直しをすると主人公の倫理感が完全ではないがかなり明瞭にわかったような気がしてぼんやりしているという感想はなくなった。
それと解説を読んでも面白そうには感じなかったということをボンクラなわたしが書いていますが、本文を読み直してから再度読んだらとても素晴らしい解説であると思いました。要点がじつに明快に書いてあります。失礼いたしました。
それとこれはわたしの問題なのだが、ななめ読みというか読み飛ばしというか空読みを結構していて、やはり、わたしは、阿呆なのだなと再認識した。
初読では『ガラスの鍵』は25スキーぐらいかな。としているが読み直し後では50スキーに評価が上がった。名作なのに50スキーなのかよという突っ込みがあるだろうが今現在のところはこれが本心だ。
ヘミングウェイに影響されたハメット。ハメットを高く評価している後継のチャンドラー。これは解説に書いてあった。そしたらもっと評価すべきだよと思うが、あいにくわたしは阿呆なので真の意味での理解には及ばないのだから仕方がない。
ここで大きく脱線してもいいかなあ。ハメットさんにも申しわけないし、ハメットファンにも、ミステリーファンにも、いわゆる文学に真面目な方々にも、出版界にも、翻訳者様にも大変、大変失礼いたしました。と、先に謝っておきます。
あのですね、50スキーからもう少し評価を上げる読み方を本当はしていました。わたしの場合はこれで50から65スキーに上がったのです。怒らないでくださいよ。本当に怒らないでくださいね。お願いしますよ。
それは……主人公ならびに登場人物の全員を……擬人化した犬として読んだのです。わーごめんなさい。本物の犬が2匹出てきますがこれは擬人化しない犬としました。犬種に詳しくないので、わたしの脳内ではブルドッグとボクサー犬が多数になってしまいました。猿のようなブルドックも登場しますよ。いひひひ。
ここで犬のみなさんにも、犬スキーの方々にも謝らなければなりませんね。ごめんなさい。ワワンワワン。
追記:よく考えたら擬人化という表現は違うな。擬犬化かな。
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