先日、かわいい弟にバナナとプリンとお花、親父にはビールを持って墓参りに行ってきた。墓参りを終え、買い出しに行き、本屋に寄り道して帰宅。約束の時間にそろそろ近づいたころに電話。
「仕事で今日は無理です」ということらしい。まあ、これも想定済みではあった。ただ、いつも一人で食事をしているので、たまには誰かと飯でも食いたいなあ。と、思っていたので仕事先の知り合いを数日前に誘ってみたのである。奢るからと言っていたのだが、都合がつかない様子。
仕方が無いので奢るつもりの海鮮丼を食べに店に行くと……混んでいる。店の入り口まで足を進めたが、一人で入るのに躊躇して別の店に行くことにした。
いつもの牛丼屋にするか迷った末に、豚カツ屋にした。チェーン店ぽいところ。客はわたし一人だけ。気楽でいいが若干寂しい。
食事を済ませ、帰宅。一週間分の洗濯をしてコインランドリーに行き、リッツを食べながら乾燥機を見るとはなしにボーとしていた。乾燥した衣類を畳んで帰宅。
アパートに帰ってもこれといってすることがない。本は寝床に入ってからしか読まなので、この数時間なにをして過ごすか。本当は引っ越しの荷物とか片付けなくてはならないのだが、面倒だな。
ということで、パラコードを編んでブレスレッドを作ろうと前々から思っていたので、パラコードで遊んでみた。材料はパラコードだけ。道具は、ハサミとライターだけ。編み方は検索して調べた。
編むのは少し難儀したが、要領が分かると単純なのがわかった。パラコードだけで作ったので着脱が若干面倒ではあったが、コツを掴んだので着脱は容易にできるようになった。
留め具を工夫してみるのも面白そうだな。もう一つ作ったら写真をアップしてみようかな。
風呂を済ませてデュマレストサーガ13巻を読みながら眠るのであった。
こうして休日の行動を書いてみたが、平凡すぎてつまらんね。まあ、実家にいるときは、“寝る→飯→トイレ→寝る”という腐りぶりだったので少しはマシになったのか。
2012年4月27日金曜日
2012年4月15日日曜日
続 メタボ対策はジーンズで
ここ十年ぐらい掛けて8Kgほど体重が増えていたので、貧乏くさい理由で入手した“キッチキチのパッツンパッツンの461”でメタボに歯止めを掛けつつジーンズを育てるという一挙両得な目標を掲げることにしたのであった。
ちなみに461にしたのは、ブーツを履くからというのと短足をカバーするのにうってつけだから。それと2月初めは寒かったので厚めの生地のジーンズが良いのではないかと思ったから。丈夫だし。
461のウエストは29インチ。普段のジーンズは30~32インチ。29インチにしたのは、オークションで希望のサイズが出品されていなく、普段のサイズより1インチ小さいサイズで妥協してみたという貧乏くさい理由になる。
21オンスデニムという厚めの生地とブーツカットという形状、それに加えてワンサイズ小さいのでキチキチのパッツンパッツン。股間がバリッと解れるというアクシデントは以前に書いたとおり。
461を履き始めて2か月半。毎日履いている。当初はキッチキチのパッツンパツンだったので部屋で履いているだけで外出するのは無理だった。牛丼屋で尻が割れたら目も当てられないので。
二週間後くらいから体重が気持ち減ったのか、ジーンズが馴染んだのか気にするほどではなくなり、牛丼屋に通うことも問題なくなった。
基本、アパートに帰宅して、まず風呂を済ませる。それから461を履いて、自炊するか牛丼屋で夕飯。なんだかんだで11時くらいに夕食になる。
つまり461を履いて夕食と朝食なのでたらふく飯は食べられないのである。自然に腹八分目になるのである。それで2か月半経った現在はあきらかに体重が減りました。体重計は無いので具体的な数値は明記出来ないが、気になっていた腹が気持ちへこみました。ジーパンの上に腹の肉が乗るということは無くなった。少なく見積もっても2~3Kgは体重が減った感じ。太もものキッチキチ感はそんなに変化は無いかな。
苦労というのは特になかった。461を履くのに1週間くらい難儀しただけかな。意識的に食事制限する必要はなかった。それに腹筋を鍛えるとか、散歩とかとにかく面倒なこともしなかったし。一日おきにリッツは食べていたし。大盛り牛丼も週2くらい食べていたしね。少しだけ意識して野菜は食べるようにはしたな。キャベツの千切りとかキュウリとかニンジンとか。もちろんマヨネーズは普通に使ったけれど。食事の量は以前に比べたら1,2割減といったところか。まあ、実家にいるときよりもバランス的には良くないのは事実で、物凄く家庭料理に飢えている感じは今でもある。どうしても恋しくなったらそういう食事処もあるのでなんとかなるしね。
痩せるために入手した461ではなかったのだけれど結果オーライな感じではある。ちなみに本来の目的だった“ジーンズを育てる”というのも順調で、膝裏のシワがシッカリ付いてきました。今のところは部屋着な感じなので汚れとかはそんなに心配ないし、あと2か月くらいは根性履きをする。
シエテレグアスのサイレントウォーカー用に464も入手(こちらも新同をオークションで。もちろんウエストは29インチだ)。
全然関係ない話なのだが、先日、二十歳前後に作ったパスポートが発掘された。うはー、なにこのイケてる感じ。今の自分は冗談みたいな顔になってるし……同じ人? ていうくらい違う。何なの、この自分に負けた感は……
チクショー、今夜は牛丼大盛りで卵セットだぜ。
ちなみに461にしたのは、ブーツを履くからというのと短足をカバーするのにうってつけだから。それと2月初めは寒かったので厚めの生地のジーンズが良いのではないかと思ったから。丈夫だし。
461のウエストは29インチ。普段のジーンズは30~32インチ。29インチにしたのは、オークションで希望のサイズが出品されていなく、普段のサイズより1インチ小さいサイズで妥協してみたという貧乏くさい理由になる。
21オンスデニムという厚めの生地とブーツカットという形状、それに加えてワンサイズ小さいのでキチキチのパッツンパッツン。股間がバリッと解れるというアクシデントは以前に書いたとおり。
461を履き始めて2か月半。毎日履いている。当初はキッチキチのパッツンパツンだったので部屋で履いているだけで外出するのは無理だった。牛丼屋で尻が割れたら目も当てられないので。
二週間後くらいから体重が気持ち減ったのか、ジーンズが馴染んだのか気にするほどではなくなり、牛丼屋に通うことも問題なくなった。
基本、アパートに帰宅して、まず風呂を済ませる。それから461を履いて、自炊するか牛丼屋で夕飯。なんだかんだで11時くらいに夕食になる。
つまり461を履いて夕食と朝食なのでたらふく飯は食べられないのである。自然に腹八分目になるのである。それで2か月半経った現在はあきらかに体重が減りました。体重計は無いので具体的な数値は明記出来ないが、気になっていた腹が気持ちへこみました。ジーパンの上に腹の肉が乗るということは無くなった。少なく見積もっても2~3Kgは体重が減った感じ。太もものキッチキチ感はそんなに変化は無いかな。
苦労というのは特になかった。461を履くのに1週間くらい難儀しただけかな。意識的に食事制限する必要はなかった。それに腹筋を鍛えるとか、散歩とかとにかく面倒なこともしなかったし。一日おきにリッツは食べていたし。大盛り牛丼も週2くらい食べていたしね。少しだけ意識して野菜は食べるようにはしたな。キャベツの千切りとかキュウリとかニンジンとか。もちろんマヨネーズは普通に使ったけれど。食事の量は以前に比べたら1,2割減といったところか。まあ、実家にいるときよりもバランス的には良くないのは事実で、物凄く家庭料理に飢えている感じは今でもある。どうしても恋しくなったらそういう食事処もあるのでなんとかなるしね。
痩せるために入手した461ではなかったのだけれど結果オーライな感じではある。ちなみに本来の目的だった“ジーンズを育てる”というのも順調で、膝裏のシワがシッカリ付いてきました。今のところは部屋着な感じなので汚れとかはそんなに心配ないし、あと2か月くらいは根性履きをする。
シエテレグアスのサイレントウォーカー用に464も入手(こちらも新同をオークションで。もちろんウエストは29インチだ)。
全然関係ない話なのだが、先日、二十歳前後に作ったパスポートが発掘された。うはー、なにこのイケてる感じ。今の自分は冗談みたいな顔になってるし……同じ人? ていうくらい違う。何なの、この自分に負けた感は……
チクショー、今夜は牛丼大盛りで卵セットだぜ。
つらつら書いたくだらないこと
先日、バンダナをいくつか入手した。ハンカチとかそんなもん要らんしと思っていたが、本当にちょっとだけ服装に気を使うようになって、なんとなく気になりだしたのがバンダナ。もちろんハンカチとしても使えるのは言うまでもなく、ちょっとワンポイント的に使えるのではと思ったから。
ということで、入手したバンダナのうち赤色と紺色が糊でカチカチだったので風呂で洗った。紺色の方は問題なかったが、赤色の方が色落ちする。石鹸で何度洗っても泡が紫色になる……メイドインUSAだった。紺色は日本製。値段はどちらも同じだった。完全に品質の差ですな。
それはさて置き、ワンポイント的な使い方をどうするか。頭と首に巻くのはバンダナ初心者にはなんとなく躊躇われる。そこでジーンズのポケットに……カバーオールを着ると全然見えないな。チラッとくらいは見えないとワンポイントにならないし。手首に巻いてカバーオールを羽織れば、袖口からちょっぴり見えるかな。色は赤だとちょい派手なような気もするし、紺だと無難すぎる。ということで黄土色に近い黄色のバンダナを左手首に巻いてみることにした。
ここで、ふと思ったのだが腕時計って右? 左? どちらが一般的なのだろうか。調べたら左(利き腕ではない方)が多いことが分かった。わたしは右(利き腕)だ。どうしてだろう。高校生の時は左腕にしていた記憶があるな……どうして左から右になったのか。しばし日常生活の行動を思い返してみると……思い当たる動作があるな。それは去年の9月半ばから約一ヶ月間に仮住まいしたバラックでの生活からの動作に影響する。水道設備がなく、大家さんから借りた洗濯機が2層式だったために洗濯物を脱水機に移すのが左から右という動作をする。この動作の際に左手を洗濯層に手を突っ込むのであるが、腕時計が右腕にあった方が都合が良かったということである。アパートに移って、洗濯機を入手したが引き続き2層式を選択したのもあるな。まあ、どちらでもいいことではある。
全然関係ない話なのだけれども、箸の持ち方の話。数人のお客様と食事をすることがあるのだが、箸の使い方がおかしいのが判明。なんというか、持っている箸が交差していて、食べ物をつまむのに交差しているところが下がっていくという微妙な持ち方。ハサミのようだ。美しくない。余計なお節介だと思ったが箸の持ち方を指南した。が、長年の癖はそうそう簡単には変えられるものではないということが分かった。
わたしも子供の頃、箸の使い方が変だった。小学校低学年に母親にビシバシ叩かれて箸の持ち方を教わった。おかしな癖を取るのに半年くらいはかかったからなあ。今ではとても感謝している。
検索したらこんな動画 を発見。オカマ割りでふいた。
とにかくバンダナを左手首に巻いた。行くのは牛丼屋くらいなんだけれどね。それじゃ、牛丼屋行ってくる!
ということで、入手したバンダナのうち赤色と紺色が糊でカチカチだったので風呂で洗った。紺色の方は問題なかったが、赤色の方が色落ちする。石鹸で何度洗っても泡が紫色になる……メイドインUSAだった。紺色は日本製。値段はどちらも同じだった。完全に品質の差ですな。
それはさて置き、ワンポイント的な使い方をどうするか。頭と首に巻くのはバンダナ初心者にはなんとなく躊躇われる。そこでジーンズのポケットに……カバーオールを着ると全然見えないな。チラッとくらいは見えないとワンポイントにならないし。手首に巻いてカバーオールを羽織れば、袖口からちょっぴり見えるかな。色は赤だとちょい派手なような気もするし、紺だと無難すぎる。ということで黄土色に近い黄色のバンダナを左手首に巻いてみることにした。
ここで、ふと思ったのだが腕時計って右? 左? どちらが一般的なのだろうか。調べたら左(利き腕ではない方)が多いことが分かった。わたしは右(利き腕)だ。どうしてだろう。高校生の時は左腕にしていた記憶があるな……どうして左から右になったのか。しばし日常生活の行動を思い返してみると……思い当たる動作があるな。それは去年の9月半ばから約一ヶ月間に仮住まいしたバラックでの生活からの動作に影響する。水道設備がなく、大家さんから借りた洗濯機が2層式だったために洗濯物を脱水機に移すのが左から右という動作をする。この動作の際に左手を洗濯層に手を突っ込むのであるが、腕時計が右腕にあった方が都合が良かったということである。アパートに移って、洗濯機を入手したが引き続き2層式を選択したのもあるな。まあ、どちらでもいいことではある。
全然関係ない話なのだけれども、箸の持ち方の話。数人のお客様と食事をすることがあるのだが、箸の使い方がおかしいのが判明。なんというか、持っている箸が交差していて、食べ物をつまむのに交差しているところが下がっていくという微妙な持ち方。ハサミのようだ。美しくない。余計なお節介だと思ったが箸の持ち方を指南した。が、長年の癖はそうそう簡単には変えられるものではないということが分かった。
わたしも子供の頃、箸の使い方が変だった。小学校低学年に母親にビシバシ叩かれて箸の持ち方を教わった。おかしな癖を取るのに半年くらいはかかったからなあ。今ではとても感謝している。
検索したらこんな動画 を発見。オカマ割りでふいた。
とにかくバンダナを左手首に巻いた。行くのは牛丼屋くらいなんだけれどね。それじゃ、牛丼屋行ってくる!
2012年4月13日金曜日
後方上空ニ警戒セヨ
新聞を四つ折りで、前方にいる誰かの後頭部を平手打ちする。しかも不意打ちで。
上述のようなことをされた側になったことがありますか? わたしはあります。実際には上述の“新聞で平手打ち”というのは揶揄で、ダメージ度合いはおそらく同じくらい。怪我する大げさなレベルではないものの不意打ちでされると“驚きと戸惑い”があります。
持って回った言い方をしましたが、職場から歩いて自動販売機にコーヒーを買いに行く途中で不意に後頭部をバサっと平手打ちされました……カラスに。驚きと戸惑い。なんでなの? 遠くの電線に先ほどのカラスがいる。気を取り直して自動販売機でコーヒーを。ちょっと警戒しつつ職場に戻る途中、電線にいるカラスを確認してこの距離があれば余裕だと安心して警戒を緩めて歩いていくと……再度のアタック。いったい何だっていうんだ?
自動販売機を置いている店の社員に話すと、
「ああ、あそこの木に巣があるから攻撃されたんじゃ」ということだった。
カラスに警戒しつつ木の下まで行って見上げると、針金ハンガーで作られた巣を発見。むむむ。困ったな。ま、いっか。今度は警戒を怠らないぜ。
上述のようなことをされた側になったことがありますか? わたしはあります。実際には上述の“新聞で平手打ち”というのは揶揄で、ダメージ度合いはおそらく同じくらい。怪我する大げさなレベルではないものの不意打ちでされると“驚きと戸惑い”があります。
持って回った言い方をしましたが、職場から歩いて自動販売機にコーヒーを買いに行く途中で不意に後頭部をバサっと平手打ちされました……カラスに。驚きと戸惑い。なんでなの? 遠くの電線に先ほどのカラスがいる。気を取り直して自動販売機でコーヒーを。ちょっと警戒しつつ職場に戻る途中、電線にいるカラスを確認してこの距離があれば余裕だと安心して警戒を緩めて歩いていくと……再度のアタック。いったい何だっていうんだ?
自動販売機を置いている店の社員に話すと、
「ああ、あそこの木に巣があるから攻撃されたんじゃ」ということだった。
カラスに警戒しつつ木の下まで行って見上げると、針金ハンガーで作られた巣を発見。むむむ。困ったな。ま、いっか。今度は警戒を怠らないぜ。
2012年4月10日火曜日
処方箋は、読まない本
“オオカミと人間”という本をamazonで入手した。ちょっと真面目な本である。普段のわたしはこういった本は絶対間違っても入手しない。
何故この本を入手したのかというと、高校3年の時に図書室で読んだことがあるからというだけの話なのである。この時期は学校に通うだけで苦痛で、上っ面だけの友達(問題は自分にある)と付き合うのが最大限に苦痛だった。授業は退屈だし、休み時間は手持無沙汰で、ましてや昼休みなんて地獄にしか感じられなかった。
今にして思えば中学になってから人付き合いが苦手になっていた。理由は中学から“喧嘩を封印”してしまったからだと思われる。もっとも得意だった“コミュニケーションとしての喧嘩”を使わないのだから相当なストレスだったのである。高校3年の時期がおそらくそのピークだったのだと思われる。“喧嘩を封印”しなかったら今の自分はどうしようもないクズになっていたとも思う。今だってたいした人間ではないのだが。
話を戻します。
そんなこんなで昼休みは図書室で過ごすことにした。もちろん本なんて読む気はなかったが、何か読んでいる振りをしないと不都合だったので“オオカミと人間”を手に取っただけなのである。
1年間、昼休みは図書室で“オオカミと人間”を読んでいる振りをし続けたのである。とはいえ、読んでいる振りも苦痛になってきて、読むとはなしに読んでいたのである。面白いかといえば退屈な本である。人間というフィルターを通しているということを意識的に自覚させながら、オオカミを多角的視点により分析している感じの本。オオカミを触媒にして人間の愚かさを浮き彫りにする的なものだったような感じ。ハッキリいって退屈な本である。
一通り読んで、他の本でも読もうとか思うこともなく、毎日昼休みには“オオカミと人間”である。何度も何度も飽きもせず“オオカミと人間”なのである。本当は飽き飽きしていたのだが“オオカミと人間”である。
こうなってくると高校に通うのではなく、“オオカミと人間”を昼休みに読みに行くだけという。かといってそれが楽しいかというとそういうことではない。長い昼休みを誤魔化すだけという動機なのであって、大抵は読んでいる振りをしながら寝ているという……
今から考えれば、高校なんてわたしには意味は無く、体裁だけのために通っていただけ。本当のところ働いていた方がよっぽど自分のためになったと思うし、親にも無駄な出費をさせただけだったな。ごめんなさい。
不意に思い出した“オオカミと人間”をamazonで検索。あったあった。懐かしい感じ。郷愁にかられて入手。高校時代なんて絶対に戻りたくないし、長い昼休みを誤魔化す図書室なんて戻りたくもない。図書室のおばちゃんもガミガミうるさいヒステリーだったし。
人間とは矛盾した生き物なのである。良い思い出ではないのに“オオカミと人間”を入手したりするのだから。ひょっとすると、今の自分が“あの袋小路”的な精神状況にあるのかもしれず。苦痛を緩和するための処方箋が“オオカミと人間”なのかもしれない。入手しただけで読むことはたぶん無いと思う。パラパラするだけ。
何故この本を入手したのかというと、高校3年の時に図書室で読んだことがあるからというだけの話なのである。この時期は学校に通うだけで苦痛で、上っ面だけの友達(問題は自分にある)と付き合うのが最大限に苦痛だった。授業は退屈だし、休み時間は手持無沙汰で、ましてや昼休みなんて地獄にしか感じられなかった。
今にして思えば中学になってから人付き合いが苦手になっていた。理由は中学から“喧嘩を封印”してしまったからだと思われる。もっとも得意だった“コミュニケーションとしての喧嘩”を使わないのだから相当なストレスだったのである。高校3年の時期がおそらくそのピークだったのだと思われる。“喧嘩を封印”しなかったら今の自分はどうしようもないクズになっていたとも思う。今だってたいした人間ではないのだが。
話を戻します。
そんなこんなで昼休みは図書室で過ごすことにした。もちろん本なんて読む気はなかったが、何か読んでいる振りをしないと不都合だったので“オオカミと人間”を手に取っただけなのである。
1年間、昼休みは図書室で“オオカミと人間”を読んでいる振りをし続けたのである。とはいえ、読んでいる振りも苦痛になってきて、読むとはなしに読んでいたのである。面白いかといえば退屈な本である。人間というフィルターを通しているということを意識的に自覚させながら、オオカミを多角的視点により分析している感じの本。オオカミを触媒にして人間の愚かさを浮き彫りにする的なものだったような感じ。ハッキリいって退屈な本である。
一通り読んで、他の本でも読もうとか思うこともなく、毎日昼休みには“オオカミと人間”である。何度も何度も飽きもせず“オオカミと人間”なのである。本当は飽き飽きしていたのだが“オオカミと人間”である。
こうなってくると高校に通うのではなく、“オオカミと人間”を昼休みに読みに行くだけという。かといってそれが楽しいかというとそういうことではない。長い昼休みを誤魔化すだけという動機なのであって、大抵は読んでいる振りをしながら寝ているという……
今から考えれば、高校なんてわたしには意味は無く、体裁だけのために通っていただけ。本当のところ働いていた方がよっぽど自分のためになったと思うし、親にも無駄な出費をさせただけだったな。ごめんなさい。
不意に思い出した“オオカミと人間”をamazonで検索。あったあった。懐かしい感じ。郷愁にかられて入手。高校時代なんて絶対に戻りたくないし、長い昼休みを誤魔化す図書室なんて戻りたくもない。図書室のおばちゃんもガミガミうるさいヒステリーだったし。
人間とは矛盾した生き物なのである。良い思い出ではないのに“オオカミと人間”を入手したりするのだから。ひょっとすると、今の自分が“あの袋小路”的な精神状況にあるのかもしれず。苦痛を緩和するための処方箋が“オオカミと人間”なのかもしれない。入手しただけで読むことはたぶん無いと思う。パラパラするだけ。
2012年4月6日金曜日
きみの相貌は忘れえない
2010年6月に忽然と姿を消したともだちのネコくん。おとうとのネコ次郎も2011年の12月半ばに何の挨拶もなしに何処かに行ってしまった……
ネコ次郎が姿を消したのもネコくんが旅立ったのと同様の理由であった。それは母親ネコに仔猫が生まれたから。そうなのである、あらたなともだちである。名は付けていない。便宜上“チビ”にしておく。チビはまったくわたしを相手にしてくれない。呼び掛ければごく稀に小さく返事をしてくれる程度である。一度も触れたことがない。というか母親ネコ同様そうとうに用心深い。
チビはネコくんに顔つきが似ている。ネコ次郎も似ていたな。ネコくんとネコ次郎はどうしているのだろうか……
最近の話、職場の通りを隔ててネコくんらしき姿を目撃する。尻尾が短いのが特徴なのでひょっとすると……ネコくんかも。
今日、チビに餌を用意していたら、ネコくん登場! 実に約2年ぶりである。ネコくんは「あんた誰?」的な様子。餌を食べている最中に何度も声を掛けたが素知らぬ素振り。あんなに仲良くしていたのに……きみが居なくなってどんなにショックだったか。それはさて置き、健康状態は良好な様子。痩せてもいないな。顔つきは相変わらずイケメンで風格がついた感じである。
以前はボスネコにおびえていたが、十分にボスネコに対抗できそうである。ボスネコはどうやらネコくんの親父みたいなんだけれどもね。今度はチビがおびえている様子だ。きょうだいなんだから……仲良くしなよ。
ネコくんが失踪してから現在までほぼ毎日わたしの地域の“保護・収容動物情報”をチェックしていたが、ようやっと安否確認ができてホッとしている。たぶん近所の猫好きの方に世話されているような気がする。毛並も良かったし。たまには顔を見せてね、ネコくん。もちろんネコ次郎もね。
ネコ次郎が姿を消したのもネコくんが旅立ったのと同様の理由であった。それは母親ネコに仔猫が生まれたから。そうなのである、あらたなともだちである。名は付けていない。便宜上“チビ”にしておく。チビはまったくわたしを相手にしてくれない。呼び掛ければごく稀に小さく返事をしてくれる程度である。一度も触れたことがない。というか母親ネコ同様そうとうに用心深い。
チビはネコくんに顔つきが似ている。ネコ次郎も似ていたな。ネコくんとネコ次郎はどうしているのだろうか……
最近の話、職場の通りを隔ててネコくんらしき姿を目撃する。尻尾が短いのが特徴なのでひょっとすると……ネコくんかも。
今日、チビに餌を用意していたら、ネコくん登場! 実に約2年ぶりである。ネコくんは「あんた誰?」的な様子。餌を食べている最中に何度も声を掛けたが素知らぬ素振り。あんなに仲良くしていたのに……きみが居なくなってどんなにショックだったか。それはさて置き、健康状態は良好な様子。痩せてもいないな。顔つきは相変わらずイケメンで風格がついた感じである。
以前はボスネコにおびえていたが、十分にボスネコに対抗できそうである。ボスネコはどうやらネコくんの親父みたいなんだけれどもね。今度はチビがおびえている様子だ。きょうだいなんだから……仲良くしなよ。
ネコくんが失踪してから現在までほぼ毎日わたしの地域の“保護・収容動物情報”をチェックしていたが、ようやっと安否確認ができてホッとしている。たぶん近所の猫好きの方に世話されているような気がする。毛並も良かったし。たまには顔を見せてね、ネコくん。もちろんネコ次郎もね。
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