先日、Google AdSenseから警告をされました。ポリシー遵守のため対応が必要な状態ということらしい。
わたしが違反したと思われるのは、『性的なジョーク及び露骨な文章や過度の不適切な表現』だと思われる。
それに該当する記事に心当たりがあったので、可及的速やかに削除しました。どんな記事だったかというと、それは酷い記事だったので削除になんの躊躇もありませんでした。なにしろポリシー違反は“露骨なテキスト”でしたから。
少々慌てていたため、問題ないであろう記事もおまけに消してしまった。それといくつかの記事を修正しました。
では、なぜこのようなことが起こったのか書いておきます。
ブログを始めたのが8年前です。8年前からつい最近までGoogle AdSenseに登録しておらず、気ままに適当なことを書いていて最近になってGoogle AdSenseに登録したので過去の記事が“ポリシー遵守していなかった”ということです。
ちなみにわたしの記事全般は大したことを書いておらず、つまり毒にも薬にもならない駄文なので、Google AdSenseに登録する意味は本当のところあまりありません。
ただ、興味本位でGoogle AdSenseに登録したことでわずかながら興味深いことがいくつかありました。それを書き連ねてみようかな。
まず第一に、大きな利益を上げているといわれるサイトは並々ならぬ努力をしているのだなあ、と、想像されるということ。わたしのブログはGoogle AdSense的視点でみるとミジンコ以下のミドリムシレベルだということ。
第二に、他者からみて役立つ情報や面白味に欠けていること。これはもともとGoogle AdSense的視点から始まったブログではないので仕方がない。それに、今後もそういった有意義な記事は意図しても書けないだろうなあ。
第三に、Google AdSenseのポリシーに常に準拠したものとなるよう責任を持って管理する必要があるということ。Google AdSenseはWEB上の広告代理店にあたる。つまり、広告主に健全な場を提供するべくガイドラインが定めてあるということである。
一切の制約を受けたく無い場合にはGoogle AdSenseに登録しないか、辞める必要がある。今回、削除した記事は客観的にみなくても“露骨なテキスト”に相違ないものであり、客観的にみても消して然るべきゴミ記事だったため削除しました。
今後の方針は今までとあまり変わりなく、気が向いたら適当なことを適当に書くつもりです。有意義であろうとか、面白味を持たせようなどと殊勝な心構えは一切ありません。ただ、ポリシーに準拠することには異を唱えるつもりは毛頭ありません。
ちなみに“Google AdSense的視点”は、いままで持ちえない視点だったのでこれはこれで経験として有意義であったと思います。わたし個人としてはこのポリシーを縛りとはあまり考えておらず、どちらかと言えば好ましいように感じています。
Google AdSense チームから届いたメールには『AdSense Tips: Keeping your site family-safe』というyoutube動画が貼られていました。この動画は分かり易い。下に貼っておきます。
Google AdSenseの基本方針はfamily-safeである。つまり、子供がみても害があってはならないということ。
この他にも禁止されているコンテンツがある。動画の下にリンクを貼っておきます。
Google AdSense禁止コンテンツ
2016年12月23日金曜日
2016年12月8日木曜日
スマッシュヒットな方言
今回のお題は“個人的な流行語大賞”である。つまり、タイトルにもあるように個人的に響いた方言のことを書こうと思う。
ただそれをありのままに書いたのでは面白くないので、わたしなりの工夫をして書いてみることにする。
一般的に方言とは、ある地域で使われる言葉であり、標準語とは異なり、他所の地域では通じない場合が多い。ただし、会話の文脈からおおよその推測は可能である場合も多い。であるが、その推測がまったくできない場合も多い。ここでは実例は上げないが、誰もが1度や2度は経験していることと思われる。その経験が使い手であったり、聞き手てあったり、他者どうしの会話を聞く場合だったりそのシチュエーションはさまざまである。
わたし自身は方言を使わない、と、思う。正確に記すなら、方言を使っているかもしれないが、自分自身では判断がつかない。今回の『スマッシュヒットな方言』とは、個人が方言とは認識していない方言についてである。つまり、共通認識だと思われるものが通じない場合の落差である。
ここで少し脱線することにする。“共通認識だと思われるものが通じない場合の落差”について思い出したことがあるので書くことにする。 わたしは子供の頃(小学生の頃)に2度引っ越しをした。つまり、小学校を3校渡り歩いたことになる(同県内)。その際に“共通認識だと思われるものが通じない場合の落差”を体験しました。
ここでは具体例上げることにする。それは遊びのルールについてだ。今は懐かしい遊び面子(めんこ)でのルール。
1)おこし→風圧で相手の面子を裏返す技
2)さし→相手の面子の下に面子を刺し挟む技
3)だし→決められた枠から相手の面子を追い出す技
※印便宜上うえの3つを面子三原則とする。
はじめの学校では面子三原則で遊んでいた。続いて2校目、3校目では“おこし技”だけがルールとされていた。面子三原則が共通認識だと信じて疑いのないわたしには軽いカルチャーショックだった。勿論のことわたしは面子三原則を主張した。というより面子三原則を強引に押し付けた。当時のわたしは傲慢でわがままな嫌な奴だったと客観視できる。同県内でさえ面子のルールが違うのだから全国的にみたら驚きのルールがあったと想像される。つまり、“おこし技”は共通認識で、“さし技”“だし技”はローカルルールで共通認識ではないことになる。と、いうのがわたしの認識だ。
ちなみに面子三原則を強引に主張して導入させたのは、“さし技”“だし技”がわたしの得意技であったからである。当時の所有枚数は千枚はくだらなかったと記憶する。そのほとんどすべてが相手から勝利して奪い取ったのであるから得意技と自負してもいいだろうね? しかし、わたしより強い年上のお兄さんは当然のこと居た。この場合にはお兄さんに大量の面子を奪われたのは言うまでもない。夜は悔しくて枕を涙で濡らしたのは今となっては良い思い出だ。
閑話休題ここで話を戻すことにする。先ほどの例で言うなら、“おこし技”は標準語で、“さし技”は方言に該当するとも言えよう。
で、個人的に響いた方言である。それは『ふったげる』である。会話から抜き出すと伝わり辛いような気もしますので実例をあげると『風呂ふったげといて』などと使うらしいです。茨城県や栃木県で使われる方言らしいです。意味が解りますか? 『風呂ふったげといて』は『風呂を沸かしといて』という意味です。つまり『ふったげる』は『沸かす』という意味です。
初めて聞いた時には、推測として『沸かす』という意味だろうなと思いましたが、念のために会話の腰を折って『ふったげる』の意味を聞きました。相手はキョトンとしていましたが『沸かす』という意味か尋ねたら頷いていました。
この『ふったげる』を知っているか周りの知り合いに聞き込みをしてみました。7~8人にしか聞いていませんがそのうちの一人が使うと言っていました。実例としてはやはり『風呂ふったげといて』と使うと言っていました。
もう少し掘り下げてうかがうと、子供の頃は風呂を薪で沸かしていたということでした。お爺さん、お婆さんと生活を共にしているというのも共通項でした。現代社会においてなぜ方言がなくなりつつあるのかなんとなく分かったような気がしました。
『ふったげる』がなぜ心に響いたのかを書きたいと思う。語感が似た言葉で『ぶった切る』がある。それと『たぎる想い』。
風呂を薪で沸かしている情景を思い浮かべると、勢いよく燃えている様を想像できる。こんな連想をしていたら、漫画『ドラゴンボール』の孫悟空がスーパーサイヤ人に変身している様が思い浮かんだのである。
上手く表現できないが、『スーパーサイヤ』になる過程は絵になっているので言葉としては『変身』とか『限界突破』とか『覚醒』などに当てはまると思うが、わたし個人的にはキャッチーでエモーショナルな『ふったげる』を推したい。
「はっ? お前の頭がふったげてるだけ」という声が聞こえた気もしないではないが、いかがでしょう? 『ふったげる』良い言葉ではないでしょか。わたし個人は方言や訛り(なまり)は暖かみがあって好きです。
ただそれをありのままに書いたのでは面白くないので、わたしなりの工夫をして書いてみることにする。
一般的に方言とは、ある地域で使われる言葉であり、標準語とは異なり、他所の地域では通じない場合が多い。ただし、会話の文脈からおおよその推測は可能である場合も多い。であるが、その推測がまったくできない場合も多い。ここでは実例は上げないが、誰もが1度や2度は経験していることと思われる。その経験が使い手であったり、聞き手てあったり、他者どうしの会話を聞く場合だったりそのシチュエーションはさまざまである。
わたし自身は方言を使わない、と、思う。正確に記すなら、方言を使っているかもしれないが、自分自身では判断がつかない。今回の『スマッシュヒットな方言』とは、個人が方言とは認識していない方言についてである。つまり、共通認識だと思われるものが通じない場合の落差である。
ここで少し脱線することにする。“共通認識だと思われるものが通じない場合の落差”について思い出したことがあるので書くことにする。 わたしは子供の頃(小学生の頃)に2度引っ越しをした。つまり、小学校を3校渡り歩いたことになる(同県内)。その際に“共通認識だと思われるものが通じない場合の落差”を体験しました。
ここでは具体例上げることにする。それは遊びのルールについてだ。今は懐かしい遊び面子(めんこ)でのルール。
1)おこし→風圧で相手の面子を裏返す技
2)さし→相手の面子の下に面子を刺し挟む技
3)だし→決められた枠から相手の面子を追い出す技
※印便宜上うえの3つを面子三原則とする。
はじめの学校では面子三原則で遊んでいた。続いて2校目、3校目では“おこし技”だけがルールとされていた。面子三原則が共通認識だと信じて疑いのないわたしには軽いカルチャーショックだった。勿論のことわたしは面子三原則を主張した。というより面子三原則を強引に押し付けた。当時のわたしは傲慢でわがままな嫌な奴だったと客観視できる。同県内でさえ面子のルールが違うのだから全国的にみたら驚きのルールがあったと想像される。つまり、“おこし技”は共通認識で、“さし技”“だし技”はローカルルールで共通認識ではないことになる。と、いうのがわたしの認識だ。
ちなみに面子三原則を強引に主張して導入させたのは、“さし技”“だし技”がわたしの得意技であったからである。当時の所有枚数は千枚はくだらなかったと記憶する。そのほとんどすべてが相手から勝利して奪い取ったのであるから得意技と自負してもいいだろうね? しかし、わたしより強い年上のお兄さんは当然のこと居た。この場合にはお兄さんに大量の面子を奪われたのは言うまでもない。夜は悔しくて枕を涙で濡らしたのは今となっては良い思い出だ。
閑話休題ここで話を戻すことにする。先ほどの例で言うなら、“おこし技”は標準語で、“さし技”は方言に該当するとも言えよう。
で、個人的に響いた方言である。それは『ふったげる』である。会話から抜き出すと伝わり辛いような気もしますので実例をあげると『風呂ふったげといて』などと使うらしいです。茨城県や栃木県で使われる方言らしいです。意味が解りますか? 『風呂ふったげといて』は『風呂を沸かしといて』という意味です。つまり『ふったげる』は『沸かす』という意味です。
初めて聞いた時には、推測として『沸かす』という意味だろうなと思いましたが、念のために会話の腰を折って『ふったげる』の意味を聞きました。相手はキョトンとしていましたが『沸かす』という意味か尋ねたら頷いていました。
この『ふったげる』を知っているか周りの知り合いに聞き込みをしてみました。7~8人にしか聞いていませんがそのうちの一人が使うと言っていました。実例としてはやはり『風呂ふったげといて』と使うと言っていました。
もう少し掘り下げてうかがうと、子供の頃は風呂を薪で沸かしていたということでした。お爺さん、お婆さんと生活を共にしているというのも共通項でした。現代社会においてなぜ方言がなくなりつつあるのかなんとなく分かったような気がしました。
『ふったげる』がなぜ心に響いたのかを書きたいと思う。語感が似た言葉で『ぶった切る』がある。それと『たぎる想い』。
風呂を薪で沸かしている情景を思い浮かべると、勢いよく燃えている様を想像できる。こんな連想をしていたら、漫画『ドラゴンボール』の孫悟空がスーパーサイヤ人に変身している様が思い浮かんだのである。
上手く表現できないが、『スーパーサイヤ』になる過程は絵になっているので言葉としては『変身』とか『限界突破』とか『覚醒』などに当てはまると思うが、わたし個人的にはキャッチーでエモーショナルな『ふったげる』を推したい。
「はっ? お前の頭がふったげてるだけ」という声が聞こえた気もしないではないが、いかがでしょう? 『ふったげる』良い言葉ではないでしょか。わたし個人は方言や訛り(なまり)は暖かみがあって好きです。
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