2009年2月12日木曜日

「死はひそやかに歩く」

「死はひそやかに歩く」著者:生島治郎

「死はひそやかに歩く」の前作「傷痕の街」は、中学生の頃に一度読んだきりだった作品。随分背伸びをして読んだ記憶がある。なにしろ勉強全般を放棄していた阿呆だったから。阿呆なのは現在も変わらないが。
漫画ですら眉間に皺を寄せていた始末で、「あんたは漫画を読んでいても難しい顔してるのね」と、親に言われたものだ。
ある出来事があり、家にいる時間が多くなり、どうにかして退屈な時間を過ごさなくてはならず、少ない小遣いで有効な方法を考えた末にたどり着いた答えが“古本”で“小説”だった。
趣味趣向が白紙だったので、これを手に取ったのも値段が五十円だったとかそんな理由だった気がする。
漫画ですら苦い薬のようなものだったから、小説なんてものは正露丸を舌で転がしているような苦行だったと記憶している。
話の筋を追うのがやっとで(現在もあまり変わりが無い)、「傷痕の街」を読み終えた印象 は、“物凄く濃い珈琲”だった。
つい先日に本棚の本を整理していたところ、“物凄く濃い珈琲”が発掘された。生島治郎氏の作品は「傷痕の街」だけしか読んでおらず、暇な時にWEBで検索すると「傷痕の街」の続編「死はひそやかに歩く」があることを知り、入手した。
「傷痕の街」は再読せずに、「死はひそやかに歩く」を読んでみた。あまりにも印象が違うことに驚いた。なにしろ主人公の心根が優しい。文章に優しさがあふれている。ハードボイルドの極北※1であるという認識が、“物凄く濃い珈琲”であるという認識が心地よく崩れていった。
「傷痕の街」も再読しようかとも思ったが、不可侵条約に抵触するような気がして止めておいた。

※1ハードボイルドの定義は正直よく分からない。文中で、“ハードボイルドの極北”と書いたが、私の中の大雑把な括りではという意味です。

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