『六人目の少女』 HPB版
著者:ドナート・カッリージ
翻訳者:清水 由貴子
しばらく前に入手していた小説『六人目の少女』を読んだ。
わたし的には今一歩の物語だった。面白いのだが、なにか物足りない。この“なにか”を求めて感想にならない駄文を起こしてみた。
ストレートに書くと、残念ながら登場人物に魅力がない。そのように書くと身も蓋もないし、それで終わってしまうので、無理矢理絞りだしてあーでもないこーでもないと書いてみることにした。
6本の左腕を巡る物語。1本の左腕の所有者が発見されるたびに過去の事件が掘り起こされる。それにより過去の犯罪と犯人が炙りだされる。
掘り起こされる過去の犯罪は段々と規模と陰惨さが増してくる。これを解決していく過程で次の所有者のヒントが提示されていく。
上述のように話が進んでいくと、今回の表題の事件の首謀者は長い年月を掛けていることが分かるようになっていく。
ラストに向かっていくと加速度が増してゆくのだが、犯罪が起こってしまったことが確定してしまっているが、危うい状態で成り立っている犯罪だということが分かる。
つまり、物語が進むと段々と嘘くささが増していく感じを受けるのだ。本当の首謀者らしい人物が冒頭から書かれているのだが、真相らしきもので納得させられることはなかった。こんなので本当に犯罪が起こるのかかなり疑わしい。起こってしまった犯罪そのものが胡散臭い印象を受ける。すると小説そのものがよく出来た作り話にしか感じられなくなる。いや、小説は作り話なのでそれはもっともなのだけれども。なんというか読んでいくうちに小説から心が離れていく感じなのである。
ラストに物語をより強化する落ち的なものが加えられるのだが、わたし的には最後のダメ押しでこれは駄目かもわからんね。と、思ってしまった。
こんな感想では駄目かもわからんね。ということでもう少し違う角度から攻めてみることにする。
物語の構造を書いてみる。6本の左腕は、6つ犯罪を表す。5人の被害者は、過去の犯罪への誘導となる。過去の犯罪は現在の犯罪への誘導ともなる。つまり、この物語の構造は“連鎖”である。
謎(事件)は解(捜査)により“連鎖”していく。解(捜査)は物語の“触媒”である。
よし、無い知恵を絞って“連鎖”と“触媒”が導き出せた。
まずは“連鎖”についてだ。連鎖するためにはまずブロック(事件)が積み上げられている必要がある。
ある意図を持って積み上げあられたブロック。つまり設計者が首謀者となる。この場合において作者は設計者である。
このブロックを崩していくのがプレイヤーになる。捜査班がプレイヤーとなる。この場合において読者はプレイヤー側である。作者はもちろんプレイヤーでもある。
“触媒”は本来の意味において自身は変質しない。が、捜査班(個々人)は“連鎖”が進むほどに変質または変化していく。
“触媒”という意味において、真の触媒は首謀者である。設計者はまさに設計のみを行う。現在の犯罪も過去の犯罪も設計のみで実際の労働(犯罪)は行わない。犯罪者の素養があるものを犯罪者に変容させるのが首謀者であり触媒である。
6本の左腕は象徴であり挑戦状・力の誇示である。一人の少女の左腕は希望であり救いである。この少女を救えるかというのが首謀者の挑戦ということであろう。読者へのフックでもある。
捜査班はプレイヤーとなり謎解きに挑んでいく。謎解きの原動力は少女を救えるかもしれない可能性である。読者の読み進めるための原動力にもなっている。これも読者へのフックである。
捜査班は専門家集団である。謎解きをして次の事件にぶち当たることが正しい道筋となる。これが連鎖していく。
設計者の意図は何か? これが物語の大きな謎であることは間違いない。そしてもっとも大きい読者へのフックということも間違いない。 つまりこれを読み解けというのが設計者の意図であり、作者の意図である。
物語は、設計者の意図だけを謎にしたまま収束する。この意図をどう読むのかは読者に任されている。
このように構造に着目してみると割りと面白い感じになるなあ。
では設計者の意図について書いてみたい。これは読者の数だけ解がある。ということなので、これが絶対的な解ではない。
どちらかと言うと、わたしの解はヒラメキみたいなものである。納得できるものではないというのはご承知の上で読んでくだされ。噴飯ものの類だと思われる。
では、さて、いきますか。首謀者(設計者)は血肉を備えた一人の人間である。であるが、名前も生まれも不明な匿名性の高い人物として描かれている。冒頭の書簡のやり取りで登場する首謀者は、全裸で身柄を拘束されるのである。なおかつ事件が明るみになる6本の少女の左腕が発見される前、もう少しきちんと書くと、少女たちが行方不明になる前に既に刑務所に収監されている。このことから連鎖する事件には関わりがないことが分かる。実際には関わっているように見受けられるが、その関わりが証明不能なのである。
霊媒体質の女性が登場して、首謀者らしい人物と過去の犯罪予備軍が接触して犯罪者に仕立て上げられる様子が霊視? されるがこれが唯一の証拠ならざる証拠として読者に提示される。
作者は、匿名性の悪、法律では無効な悪、触媒としての悪を描いてみせた。ややもすると実在性のない悪魔になりかねない首謀者にギリギリのところで血肉を与えた。握手でもって。ラストでは主人公に首謀者の名前が効果的に明かされる。
ということでここから噴飯させるぜ。首謀者のキャラクターは『エルム街の悪夢』のフレディーに着想を得たのではなかという妄想。悪夢でもって犯罪予備軍を犯罪者に仕立て上げるのである。
この悪夢は手練手管のマインドコントロール術。いわば触媒としての悪であろう。決して捕まらないというのは法律では無効な悪と、匿名性の悪で実現できている。
フレディーとの唯一の違いは血肉を備えているかいないかの違いかな? わたし的には近しい存在な気がする。
この物語の危うさは後半になるほど際立ってくる。畳み掛ける展開でもってしても誤魔化しきれない。この危うさの根っこは、手練手管のマインドコントロール術にすべての事件が成り立っているという点である。それも一人の人間によって設計され積み上げられ、自らのシナリオにより挑戦状として提示し、暴露させるのだから違和感を覚える。
“連鎖”とは言い換えれば繰り返しの妙だが、ラストにもキッチリ“連鎖”の余韻を持ってきたのは設計者(作者)の力量を表している。なんてね。
つまり、この謎の意図をどう読むのかが評価軸の分岐点になるような気がする。さて、みなさんの評価はいかがでしょうか。