正直に言うとそれほどの映画ではありませんでした。雰囲気は良かっただけに、とにかく端折りが多くて残念な感じでしたね。
これだけではネタ未満なので、もう少し話を膨らませます。
携帯で暇つぶしに書いたもの 現在12:42。渋谷に到着。 渋谷駅13番出口から直進した右手のcocoti(ココチビル)8F。入り口に3つの長いエスカレーターがある。8Fに受付兼チケット売り場がある。今回は予約なしできました。座席G9を確保。 はやく着きすぎやることなし。公園で一服中。 オシャレな若者が多い。可愛い娘も多く目の保養をした。外国人も多く見受けられた。 わたしは普段着ているライダースとミリタリーとワークの混ざった格好できました。浮いている感じはしないが、オシャレ感はゼロだろうな。とほほ。 入館は10分前とのことなので昼飯をたべようと思ったが、下調べしておらず、しばし歩いて回ったが、場違いな感じがしてコンビニでコロッケパンと缶コーヒーを買ってきた。公園でこれを書いている。 つまり暇潰しだ。今、12:52。あと30分もある。 天気は快晴だがわずかに風が吹き肌寒い。公園横上は電車が走っている。 ファッションの店も多いが、いやファッションの街か。やはり場違いな感じである。 今、12:57。まだ時間がある。困った。 仕方がないので『檻の中の女』を携帯で検索して時間を潰すか。あ、ちなみに『檻の中の女』は随分前に既読している。HPB版ではなく文庫の後追い組。文庫最新刊の帯で映画祭を知り今日に至る。 映画館上映はここ渋谷と大阪だけのよう。なので仕方なしにオシャレな街に来たのだ。 今、1:05。10人くらいいた公園をみわたすと、わたしを含め4人と鳩二羽になった。上空にヘリコプターが飛んでいる音がする。 今、1:10。携帯の入力は遅いと思う。救急車が走っている。それと消防車かな。そろそろ行くとするか。 今、1:12。少し時間が潰せた。レッツラゴー(死語)。 |
※写真はgoogleのストリートビューを切り貼りしたもの
作品がダークなのと平日ということもあり、年齢層は高めだった。観客数はざっくり30人未満。
自発的に映画を観に行ったのは人生初。TVを地デジ化にあわせて捨てたので、なにか映像的な刺激を欲していたんだと思う。YouTubeなどでしのいでいたんだけど欲求不満ぎみだった。
『檻の中の女』は文庫で既読済みで、『特捜部Q―カルテ番号64』の文庫の帯で映画上映を知り、どんな映画になっているのか興味があった。
随分前に既読済みですが、内容はなんとなく憶えており、記憶との照合しながら映画を観ました。97分という尺に小説全ては詰め込めないのは当然で端折りもありました。
小説をなぞる展開だったと思う。小説の雰囲気は違和感なく再現出来ていたと思う。
いきなり映画を観たらちょっと戸惑うと思います。冒頭の事件は追わずに別の事件を追うことになるからね。
映画だけ観たら風呂敷広げて回収していないじゃんという感想になってしまいます。
カール・マークを中心にした人間関係は映画ではストーリーに織り込まれてはいるが分かりづらい。
カール・マークの奥さんと息子の関係は上手くいっていないのはざっくり描かれてはいるが、込み入った事情は描かれてはいない。
切り捨てられた登場人物もいた。その代表が心理学者モーナ。実はモーナがどんな美人なのか観たかったのは内緒だ。
それはさて置き、心理学者モーナはこのシリーズではマドンナ的キャラクターで欠くことはできない人物である。
カール・マークのリビドーとしても、わたしのリビドー的にも。とはいえ映画的には切られてしまいがちなキャラクターだと思われる。残念。
アサドの謎めいた人物像は映画ではバッサリ切り捨てられている。警察手帳を持っているのは人物設定の変更だろう。小説のアサドは物凄く謎キャラでそれが魅力的なんだけれどなあ。
カール・マークとアサドのコンビは、アサドの人物設定の変更によりスタイリッシュになってしまい魅力が半減している。
ミレーデ・ルンゴーは小説版のイメージに近しいかな。彼女の失踪事件を追うので今回限りのヒロインになる。失踪事件のキッカケは回想シーンとして織り込まれている。
小説版も同じなんだけど犯人の動機が弱いんだよな。映画でもここが弱い。小説版ではこの弱い部分を人物造形で補っている。犯人の母親なんかももっと憎らしい造形だったし、ヒロインの悲劇性をなんやかんやして盛って上手く誤魔化していたんだけど。
小説版では犯人グループにもう一人いたような記憶があるが、これは確認していないのでなんとも言えない。
ミレーデ・ルンゴーの弟も作中では重要な役割があります。彼が事件の真相を紐解くキーマンになります。彼の人物造形は小説版に近しくいい按配でした。
刑事であるカール・マークを厄介者とした警部が追いやった警察内の地下物置が特捜部Qの本陣。割り当てられた仕事は、未解決事件の書類整理です。つまり左遷みたいなもの。
アサドが助手としてどこからか来ました。この“どこからか”は小説版では謎の含みがあります。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』になっても未だ明かされていない謎です。
小説版での地下物置はもっと狭い部屋でしたが映画では書架(事件ファイル)のある割りと広い感じになってましたね。
冒頭の事件はカール・マークとその部下が巻き込まれる事件で、この事件がもとで特捜部Qが発足されます。映画ではかなり乱暴に投げ込まれるプロットです。いきなり映画を観たらちょっと戸惑う部分ですね。
入院中の部下(名前は忘れた)を見舞うシーンで部下が「あの時、仲間の到着を待っていたらどうだったのか……ただ、カールの頑固(粘り強さ)さが事件を解決に導く」というようなセリフがありカールに許しと希望を持たせている。映画としてうまく処理しているかな。
小説版ではこの負傷した部下にも物語があります。泣けて笑えるサブキャラです。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でもまだその魅力と能力は完全には開花していません。
一応補足として書いておくと冒頭の事件は小説版『特捜部Q―檻の中の女』でも未解決です。文庫版最新刊『特捜部Q―カルテ番号64』でも未解決ですが、少しずつ真相を究明していく状態ですね。
わたしは負傷した部下が結構気になっています。彼の苦悩が凄く気になるのです。理由はいろいろあるのですが、彼に生きる希望が見いだせる日がくることを願って止みません。
頑張れなんて安易に声は掛けられないし、どうなったら今より幸せなのかも分かりませんが、シリーズをとおして見守っていきたいと思う。
映画の総評としては小説のパイロット版のような作りですね。ちょっと違うかな。うーん、なんて言えばいいのかな。
小説そのものは映像化しやすい気がするのだが、映画では魅力が半減してしまっている。テレビシリーズとかもう少し長尺に向いている作品のように思われる。
小説のパイロット版のような作りと書きましたが、つまり、映画単品ではヒットしない作りなんです。だから、残念ながら、ぜひ観てくださいという映画ではないです。
小説を読んだ上で観れば理解は容易な作品です。雰囲気は再現しているのだけれど評価は厳しい作品かな。100点満点なら50点くらいな感じでした。
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